西川長夫さんの『パリ五月革命 私論』を読んだきっかけは、
はっきりしていて、
中条省平さんが自著『人間とは何か 偏愛的フランス文学作家論』のなかで、
何度か五月革命に触れていたからです。
たとえば、13ページ。
「私は、世界中で若者が体制に反抗し、
フランスの五月革命を始めとする闘争をひき起こした〈1968年〉の世代
に属しています。
そして、当然のことのように、革命や反逆に憧れていました。
大学闘争に参加するには若すぎましたが、
中学や高校でその真似ごとをする年齢には達していました。」
この本を横において先日、
中条さんと対談しましたが、
ますます五月革命の射程を計りたくなり、
なにか、わたしの興味に応えてくれる本はないかと探していて
出会ったのが西川長夫さんの本でした。
いろいろおもしろかったのですが、
目をひいたのは、たとえば第四章「知識人の問題」。
これまで読んできた森有正さんとか加藤周一さんにも触れられており、
西川さんが書いておられる違和感みたいなものは、
わたしにも少なからずありましたから、
なおさら興味ぶかく読みました。
六八年と知識人の問題を考える時に陥りやすい三つの罠があると思う。
警戒すべきこと用心すべきことは三つに限らないが、
とりあえず三つのことを指摘しておきたい。
第一は、
学生運動にかんして強い影響力をもった特定の指導的な知識人や思想家の存在
を想定し、それを探り出し特定することによって何か問題が解決した
かのように思ってしまうこと。
この犯人探し的な趣向は、
六八年の政治社会評論やジャーナリズムの記事によく見られた傾向であった。
あの占拠中のソルボンヌの中庭に掲げられたマルクス、レーニン、
トロツキー、毛沢東、ゲバラ、等々の肖像を見れば、
そうした犯人探しの誘惑が起こるのは無理のない話かもしれない。
しかし前もって結論を言えば、
六八年の運動に、
それがマルクーゼであれアルチュセールであれあるいはサルトルであれ、
誰か一人のイデオローグの存在を想定することは現実にそぐわないし、
六八年革命の本質を歪め覆い隠すことになるだろう。
六八年の重要な特色の一つは、
そのようなイデオローグや大知識人の存在を否定あるいは拒否する
ところにあったのだから。
(西川長夫[著]『[決定版]パリ五月革命 私論 転換点としての1968年』
平凡社ライブラリー、2018年、p.232)
1968年といえば、わたしは11歳。中条さんより三つ下のわたしは、
「革命や反逆に憧れ」るようなことはありませんでした。
やさしい先生を慕う、
寂しがり屋のいなかの子供でしたし。
が、
その後、洟をすすりすすり、
じぶんの立っている足下をしらべる具合にして本を読んだり、
テレビを見たり、音楽を聴いたりしているうちに、
じぶんの根に流れ込んでいるものが気になるようにはなりました。
それがいまに続いています。
そういう個人的な興味関心からすると、
西川さんの本は、
「自分のなかに歴史をよむ」ことのおもしろさと深度を
あらためて教えてくれます。
・窓外を新しくして紅葉かな 野衾