「神田川」ふたたび

 

「神田川」を作詞したのは喜多條忠(きたじょう まこと)さん。
喜多條さんから連絡があって、
それを電話口でスーパーのチラシの裏に書き取りながら、
しぜんとメロディを口ずさんでいた、
というようなことが『いつも歌があった』に書かれていました。
大ヒットした「神田川」ですが、
その後、そのことによる呪縛の時期があったようです。
それがまた大きく変る時期がやってきます。

 

やっと僕の中で、「神田川」という曲の位置がきちんと定まってきた
と感じています。
「神田川」は、これからずっと先も僕の中心となっていくでしょう。
リクエストハガキを書いてくれた当時の中学生、高校生が、
もう今は白髪になっているけれど、
僕は多分、
このオヤジたち、オバサンたちのために歌っていくんだろうと思います。
もうその一点ですね。
彼らにとって、
これが慰めの歌になるのか、
あるいは思い出の歌になるのかはわかりません。
けれど、
「懐かしむということは明日に生きる薬になる」
と僕は信じていますから、
僕の歌がその薬になっていけばいいなと思っています。
「神田川」という、
世代や時代を超えて親しんでもらえる曲を世に出せたということ自体が奇跡
に近いと感じています。
今は歌い出しの[貴方は、もう忘れたかしら]
の部分に命をかけているんです。
僕の声の音域と音色と詞が一緒になった全体の感覚が、
僕の中ではインストゥルメンタル
として響いています。
(南こうせつ[著]『いつも歌があった』yamaha music media、
2019年、pp.97-98)

 

じぶんの行いが、ときを経て、次第に見えかたが変ってくるというのが、
おもしろいなぁ。
じぶんじぶんでなく、させてもらったことなんだ、
奇跡に近い、というような。

 

・掃除後のエントランスに早枯葉  野衾