フーコーさんの砂浜

 

ミシェル・フーコーさんの『言葉と物』を読んだとき、
内容のむつかしさに辟易しましたが、
さいごのさいごにドキッとするようなことが書かれていました。
いま手元に本がない
(読み終わった本を不定期的に段ボールに詰め、
秋田の実家に送っていますが、いつかの便に『言葉と物』も載せた)
ので、
引用できませんけれど、
「人間」というのはつくられた概念で、
いずれ、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう、
みたいなことが書かれていた。
そのことばが気になって、
『知の考古学』も読んだのでした、
たしか。
つい先だって、フーコーさんとはかんけいなく、
西川長夫さんの『パリ五月革命 私論』を読んだのですが、
このなかにアッと驚くことが記されていた。

 

先に述べた『パヴェ』紙には囲の中にこんな言葉が記されていた。
あえて訳せば「パヴェに囲まれていい気持ち」
とでもなるだろうか。
パヴェにかんする壁の言葉で、
おそらく最もよく知られているのは次の一句であろう。
これはソルボンヌ以外でもカルチエ・ラタンの何カ所かに書かれていた。

パヴェの下
それは砂浜……

この美しいシュールレアリスト的な一句は、
しかしバリケードを作るために石畳をはがした若者たちの実感を表わして
いる。
実際、パヴェをはがしてみると、
思いがけずどこまでも続く白い砂の層が現われたのであった
(因に、フランス語のストライキにはもともと「砂浜」の意味がある。
セーヌ河岸近くにあるパリ市庁舎前のグレーブ広場に
労働者が職を求めて集まってくるところから
グレーブにストライキの意味が発生したのであった)。
セーヌ川の岸辺がかつては砂地であったことを私たちは忘れている。
(西川長夫[著]『[決定版]パリ五月革命 私論 転換点としての1968年』
平凡社ライブラリー、2018年、pp.142-143)

 

上の引用に際し、フランス語は省いてあります。
さて、著者の西川さんは、1968年のこの時期、フランスにおられた。
パヴェとは石畳、敷石のこと。
五月革命は、
1968年5月、パリを中心として起こった、
学生・労働者・市民による反政府行動のことをいいますが、
フーコーさんは1926年生まれですから、
五月革命を目の当たりにしているはず。
そうか『言葉と物』末尾の「砂浜」のイメージは、こんなところにあったのか、
そうかもしれない、いや、そうにちげーねー、
と、
勝手に合点した次第です。

 

・冬晴れや鳩数十羽旋回す  野衾