沈黙の果実

 

じぶんで為したことをふくめ、起こったこと、起きてしまったことを
ことばで表現することはむつかしく、
なかなかできる業ではないような気がします。
泣いている子供が、泣いたことの意味を知るのは、
忘れていなければの話ですが、
ひと月後、一年後、はたまた五年後、十年後かもしれせん。

 

他方、より高い年齢層の知識人、作家、芸術家、等々が、
五月を受けとめてそれが思想化され作品化されるには、
当然のことながら一定の時間を必要とするだろう。
本書の第四章で、
私が接した数人の知識人がいかに五月を受けとめたかについては
すでに述べた。
六八年五月との関連で常に問題とされるサルトル、フーコー、デリダ、
ドゥルーズ、ラカン、等々の知識人の六八年以後の変貌とその思想的豊穣さ
についてここで述べる余裕はないが、
それらは正しくミネルヴァの梟であって、
先行する五月の諸事件とともに記憶されるべきものであろう。
六八年六月以降の政府と警察、
あるいは右翼と左翼の双方による五月の忘却が意図的に進められるなかで、
最初の一〇年近くは五月は運動として存続し、
たとえ恐怖や嫌悪によってであろうと、
存在感をもって密かに記憶され想起され続けていたのではないかと思う。
五月が忘却の危機にさらされるのは、
まことに逆説的ではあるが、
左翼の成功によって、
そしてまたしても「選挙」によってであった。
(西川長夫[著]『[決定版]パリ五月革命 私論 転換点としての1968年』
平凡社ライブラリー、2018年、p.358)

 

社会的な歴史のことも、個人的なことも、
いわば顕現的秘匿でありまして、
意味をもとめて探りつつ、時を経て、やっとその相貌がみえてくる、
そんなところかなと思います。

 

・坂登りきり木の葉来るまた木の葉  野衾