厳密になればなるほど

 

クルツィウスさんの『ヨーロッパ文学とラテン中世』のなかになんども
「トポス」という用語がでてきます。
アリストテレスさんのものは、
ひととおり読んだ気になっていたのに、
そういえば『トポス論』はまだ読んでいなかったな。
というわけで読んでみた。
もちろん日本語訳ではありますが、
アリストテレスさん、あいかわらず、言うことがこむずかしい。
ただ、愚直に、文字を舐めるように追っていると、
たま~に、
わらえる箇所に出くわすことがあって、
それはそれでおもしろくもあり。

 

また、定義する人が、関係的なもののそれぞれが
本来それに関係する当のものに関係させて提示したかどうか
も考察する
必要がある。
なぜなら、
若干のものは、
それが本来それに関係する当のものとの関係においてのみ用いることができ、
他の何ものとの関係においても用いることができないが、
若干のものは他のものとの関係においても用いることができるのだから。
たとえば、
視覚は見ることとの関係でのみ用いることができるが、
肌掻き具をワインを汲むために使う人もいる。
しかしだからといって、
誰かが肌掻き具をワインを汲むこととの関係において定義したら、
それは過ちなのである。
なぜなら、
本来的にそのことと関係しているわけではないのだから。
「本来的に関係するもの」の定義は、
「思慮ある人が思慮あるかぎりにおいて、
またそれぞれのものに関する固有の知識が、
それとの関係において用いるそれに当たるもの」
である。
(アリストテレス[著]『アリストテレス全集3』岩波書店、2014年、
pp.247-248)

 

この巻には「トポス論」と「ソフィスト的論駁について」が入っており、
「トポス論」は、山口義久さんが訳されています。
で、
文中の「肌掻き具」。
訳者の山口さんは、このことばに注を振っておられる。
いわく、
「肌掻き具とは競技者が肌から脂をとったり、女性が肌に付けたクリームを
落としたりするための道具。
アリストパネス『テスモポリア祭を営む女たち(女だけの祭)』556では、
この名前の道具がワインを汲むのに使われているので、
アリストテレスはこのことを念頭においていたかもしれない。」
こういうふうに解説されると、
もとにもどり、
その段落の記述において、アリストテレスさんが何を考えていたのかが、
すこし明確になる。
とはいうものの、わたしのアタマは、
もはやアリストテレスさんから離れ、
ひたすら「肌掻き具」に行っちゃう。
なにそれ?
はじめて知ったけど、
肌を掻く道具を、ワインを汲むのにつかうって、
どういうこと?
そんなことを脳裏に浮かべていたとして、
それなのに、
そのことを踏まえつつ、あのこむずかしい言い方になってしまう、
アリストテレスさんという人が、
なんだかおもしろく感じられてきます。

 

・ストーブや五年日記の農耕詩  野衾