土井晩翠訳『イーリアス』

 

ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』を岩波文庫で読んでから、
ずいぶん時がたちましたが、
土井晩翠の翻訳があることを知り、
読んでみたくなりました。
土井晩翠が宮城県出身で、第二高等学校で教えていたこと、
わたしの母校・秋田高校の作詞が土井晩翠であること、
わたしが若いとき夢中で読んだ中野好夫が土井晩翠の息女と結婚していること、
土井晩翠の随筆集『雨の降る日は天気が悪い』
に、
土井が『奥邃廣録』を二セット購入した記述があること、
そのうちの一セットを土井を訪ねてきた山室軍平にプレゼントしていること、
またさらに、
先だって読んだ『カザノヴァ回想録』に何か所も『イリアス』に関する記述があったこと、
カサノヴァ本人が翻訳を手掛けていること等々、
いくつかの個人的理由が重なり、
モチベーションがぐっと高まりました。
しかも土井訳は、
原作と同じ行数でかつ韻文という、ほとんどアクロバット的なもの。
七五調でベベンベンベン、
琵琶の音が聞こえてそう。
さすが、
「星落秋風五丈原」をものした土井晩翠であります。
中野好夫のエッセイ集『風前雨後』に「土井晩翠と私」という文章があり、
そのなかに、
「今でも忘れませんが、
二、三度目に会った時でしょうか。一緒に国電の駅の陸橋を渡ったのですが、
階段の上り口に来たかと思うと、アッという間に袴《はかま》の股立を両手でからげて、
たちまち二段、三段と駆け上るように飛び上って行く。
降りる時がまたその通りなのです。これが六十歳の晩翠だから驚きました。」
(中野好夫『風前雨後』講談社文芸文庫、1990年、pp.305-6)
という文章があり、
土井の面目躍如、笑ってしまいます。
なんだか『男はつらいよ』第一作、さくらの結婚式における羽織袴姿の寅さんを彷彿させる。
土井晩翠訳の『イーリアス』の「跋」の最後に、
おもしろいことが書いてあり、
それを引用しようと思っていたのですが、
前置きが長くなりましたので、
引用は明日にしようと思います。

 

・きさらぎや鈴を鳴らして去りにけり  野衾

 

『文選』と『文心雕龍』

 

五〇二年四月、蕭衍しょうえん(武帝)は、斉の和帝を廃して自ら帝位に即き、
国号を梁と称し、元号を天監と改めた。
劉勰が官途についたのは、この後のことで、
天監のはじめ奉朝請という臨時官を振り出しに、
武帝の異母弟で臨川郡の王であった蕭宏の記室(秘書官)を兼任した。
ついで、
車騎倉曹参軍に遷り、太末県の長官に転出し、
天監十年(五一一)ごろには、
武帝の第四子で南康軍の王であった蕭績の記室に任命され、
東宮通事舎人(東宮秘書官)を兼任した。
時の東宮は、
武帝の長子の蕭統で、
『文選もんぜん』の編者として昭明太子の諡おくりなで知られた人物である。
『梁書』に
「昭明太子文学を好み、深くこれ(劉勰)を愛接す」
とあるのを見ると、
それは通常の秘書官というだけのものではなく、
恐らくすでに『文心雕龍』という大著作があることによってその文学上の識見を買われ、
太子の有力な文学顧問であったのだろうと思われる。
『文心雕龍』と『文選』とを比較してみると、
文学様式の分類に共通点が少なくないばかりでなく、
文学の本質についての考え方にも極めて似たところがあり、
『文選』の編纂に与えた『文心雕龍』の影響の大きいことを否定できない。
即ち、
『文選』は『文心雕龍』の文学論を詩文集の形式で再構成したものである、
と言っても言い過ぎではない。
(戸田浩暁『新釈漢文大系64 文心雕龍 上』明治書院、1974年、p.3)

 

きのうこのブログで、『文選』と『文心雕龍』が、
いわば車の両輪のような関係であると知ったことに触れましたが、
こういう影響、かげひびきが、音を立ててではなく、
しずかなエコーとなり、ゆっくり、たっぷりと時間をかけ、
さざなみが、
はるか遠くまで及び、
やがて消えて無くなるがごとくに伝えられていくところに、
ふかい感動を覚えます。
たとえばそれが杜甫の詩作へとひびき合い、
海を越え『萬葉集』ともひびき合うことに思いを致し、
そこに共通する人間の営為、感興を、読書を通じて識り味わえることは、
文学の大きな喜びの一つであります。

 

・ホームにて体操余念なしの春  野衾

 

感動は自然への贈り物

 

この篇の終わり近くに、
「山林皐壌こうじょうは、実に文思の奥府おうふ
(山林や水辺は、まことに詩想の宝庫)ということばがある。
これは、
『荘子』知北遊篇ちほくゆうへん
「山林か、皐壌か、我をして欣欣然きんきんぜんとして楽しましむるかな」
を典拠としているが、
劉勰はさらに一歩を進めて、
自然がその美しさによって人を感動させ、
それが文学を生む原動力となることを指摘している。
そして、
篇の末尾には、
四言八句から成る韻文の賛が置かれて、全体の主旨を要約している。

 

賛に曰く、山沓なり水匝り、樹雜り雲合す。
目は既に往還し、心も亦た吐納す。
春日は遅遅として、秋風は颯颯たり。
情の往くは贈に似、興の来たるは答の如し。

 

んにいわく、やまかさなりみずめぐり、きまじりくもがっす。
めはすでにおうかんし、こころもまたとのうす。
しゅんじつはちちとして、しゅうふうはさっさったり。
じょうのゆくはおくるにに、きょうのきたるはこたえのごとし。

 

賛曰、山沓水匝、樹雜雲合。
目既往還、心亦吐納。
春日遅遅、秋風颯颯。
情往似贈、興来如答。

 

「山はたたなわり水は巡り、木々は交錯し雲は重なる。
目が自然と交感するとき、心にもまた情趣が息づく。
春の日はのどかに過ぎ、秋風はざわざわと鳴る。
感動は自然への贈り物、詩興は心へのお返し。」

 

(興膳宏『中国名文選』岩波新書、2008年、p.121)

 

以前『文選』を読んだときに、劉勰《りゅうきょう》の『文心雕龍』を知り、
ふたつが、いわば車の両輪のような関係であることを識りました。
明治書院の「新釈漢文大系」に上下二巻で入っており、
読もうと思っていた矢先、
興膳宏さんの『中国名文選』を開いたら、
『文心雕龍』が引かれているではありませんか。
引用文中冒頭の「この篇」とは、
『文心雕龍』のうちの「物色篇」を指します。
物色とは自然の風物のこと。
「感動は自然への贈り物、詩興は心へのお返し。」
まったく同感!
よくぞ言ってくださった、
と思います。
故郷、ふるさと、帰りなんいざ、の、人間の深層にある情趣を語って余りある文言である
気がします。
なお、
こまかいことですが、
《  》内の平仮名は、本ではルビになっています。
パソコンで入力するときに、ルビにできるかどうか、やり方が分かりませんので、
便宜的に《  》を使っています。
これまでも、そうしてきました。
また、上の引用文中、すべて平仮名で書いた箇所がありますが、
これも、
本のなかでは、ルビ処理をされていて、
通常わたしが用いている方式の《  》でもいいけれど、
読みづらくなる気がし、
それならいっそ、
という気持ちで、
ルビを含めて全て平仮名表記としました。

 

・顔は知る素性は知らず春隣  野衾

 

事実は小説より

 

終ってしまいました。なにが? 『カザノヴァ回想録』
ドキドキワクワクさせられたり、
ときに声を出して笑わせてもらったり、
さいごのほうは、
人の一生について、いろいろ考えさせられたりもしましたが、
全体を通して見ると、
カサノヴァ本人がじぶんの人生を愛おしみ、
思い出しながら、
書くことを楽しんでいると感じられ、
自伝を読んでくれるであろう未来の読者を楽しませよう、
そういうこころが自然と伝わってくる、
いい本でした。
が、
ほんとうに、そんなこと実際にあったの? 話を盛ってないか?
と、
俄かには信じ難いことが少なからず
書かれてあり、
「風俗史料としても」の謳い文句が分かる気がします。
下に引用する箇所など、
おもしろうてやがて悲しきをのこ
でありましょう。

 

その頃、
アルベルガティ・カパチェリ侯爵と名のるボロニアの一貴族のことが評判となっていた。
かれは自作の芝居を発表し、
みずからその芝居をじつに上手に演じていた。
かれが有名になったのは、
非常に高貴な家柄の出である奥方にどうにも我慢ができなくなったので、
その結婚の無効宣言を申し渡してもらい、
代わりに、
すでにかれの二人の息子を生んでいた或る踊り子と結婚したからだった。
かれは二人も息子をつくっているのに、
不能を理由にして、
最初の妻との結婚を無効宣言させ、
厚かましくも、
自分の不能を会議において証明したのである。
この会議という野蛮で滑稽な風習は、
今でもイタリアの大部分の土地に存続している。
鑑定を行なうのは、
四人の公正で決して買収されたりしない裁判官で、
かれらは素っ裸にした侯爵さまに対して、勃起能力を調べるためのあらゆる試験を行なった。
そして、
勇敢な侯爵は最も厳しく、
入念きわまりない吟味に耐え、つねに、
完全にだらりとした状態を保ちつづけたのだった。
こうして、
結婚は相対的不能という理由で無効を宣告された。
というのも、
かれには私生児がいたからである。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 6』河出書房新社、
1969年、pp.374-5)

 

・雪降るや午後から雨に変るかも  野衾

 

月報のたのしみ

 

読書のたのしみを堪能してきた『カザノヴァ回想録』ですが、
いよいよ最終第六巻一〇〇ページを残すのみ、
ちょっと名残惜しくなり、
読むスピードをさらに落とす具合。
いまは河出文庫にもなっているようですが、
わたしが読んでいるのは、ホッチキス止めでなく紫色の貼り箱入り。
各巻に月報が付いていまして、
それが文庫版でどうなっているか、
ひょっとしたら、
その文章が付されていないのではないか
とも思われ、
そんなことから、
古書で求めたものです。
月報は「カザノヴァ・サロン」と題され、
当時の著名な方々が『カザノヴァ回想録』と“稀代のモテ男”カサノヴァ
について
コメントを寄せています。
名前を挙げると、
澁澤龍彦(月報の表記は、渋沢竜彦)、夏川文章、栗田勇、平川祐弘、なだいなだ、
川村二郎、丹羽文雄、平岡昇、小笠原豊樹、開高健、大岡昇平、米川良夫
の十二名。
短文ながら、
どの文章も読ませます。
『カザノヴァ回想録』は窪田般彌の前にも翻訳が出ており、
また、
原文で読んでいた方もいるでしょうから、
当時において、
すでに読書人たちにとって恰好の読み物になっていたことが分かります。
本そのものの面白さもさることながら、
その本がどう読まれてきたかを読むことは、
本の厚みをさらに増してくれます。

 

・さらさらと細谷川の蕨かな  野衾

 

どの文も新しい

 

本は、一度読んだら終り、という場合が圧倒的に多いのですが、
何度も何度も、
ちいさい子どもが、
好きな絵本をくり返し話者にせがむように、
何度もくり返し読む、読みたくなる本があります。
本というより、
本のなかの文かもしれません。
数は多くないけれど、
そういう本をいくつか持って読んでいるうちに、ハッと気づいた。
それは、「どの文も新しい」ということ。
『論語』でいえば、
「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎《お》かず」または「舎《す》てず」
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」
あるいは「文質彬彬」
などは、
五年前と今年では明らかにちがい、
極端な話をすれば、
きのう読んだのと、きょう読むのとでは、ちょっとちがう、
まるで、
くり返しの多い年老いた親の話を聴くような具合で、
落ち着いた味わいを超え、
抜き差しならなく緊張し集中し、
わたしにとっての意味と位相がちがってきていると感じられます。
『聖書』「コリントの信徒への手紙 二」第三章六節に、
「文字は殺し、霊は生かします」
がある。
すこし前の口語訳聖書では、
「文字は人を殺し、霊は人を生かす」
印字された文字は、
ただの黒い線、真っ直ぐな線、また曲がった線、しるしでしかない。
辞書を引くと意味が書いてありますから、意味を理解し、
いったんは落ち着く。
ところが、
何度も読んでいるうちに、
辞書的な意味を超え、
きょう、この瞬間のわたしに語りかけていることばと感じられ、緊張し、また謹聴する。
霊が働き、文字が文になる、
そういうふうに感じ始めた感興をことばにすると、
まさに「文字は殺し、霊は生かします」
ふるい本だけでなく、新しい本の文もそうかもしれない。
文字が霊にふれ、
文として立ち上がってくる、
そんなイメージをこのごろ持ちます。

 

・野良猫の子の潜みをりU字溝  野衾

 

共にいる喜び

 

一見、喜びは他と異なっていることと関連があるように思われます。
褒められたり賞を得たりすると、
他の人々とは違うという喜びを経験します。
人より早く走れる、人より頭がいい、人より綺麗、そのような違いが喜びをもたらしてくれます。
しかし、
こうした喜びは束の間のものでしかありません。
本当の喜びは、
私たちが他の人々と同じように脆く、
いずれは死ぬものであるところに隠されています。
それは人類の一員であるという喜びです。
友人として、仲間として、旅の道連れとして、他の人々と共にいるという喜びです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.63)

 

この日記『港町横濱よもやま日記』は、創業から約半年遅れて始めましたので、
二十三年がたちました。
日記とはいうものの、
このごろは、日々の記録のうち、
読んだ本のなかから、気に入ったり、気になったり、
考えさせられたりした箇所を引用し、
それにコメントを付す、
そういう文章が多くなりました。
本にかかわる仕事をしていますので、
それもありかと思い、
また、
引用していると、
著者の文体が指先を通じてこちらに浸透してきますから、
じぶんとは違うひとの文章を知るのに役立ちます。
それと、
いままで上梓した拙著の多くは、
テーマを定め、この日記に書いた文章から取り出して選びまとめたものですが、
拙著の上梓と、
それについてのありがたい評言は、
今後の方向を見定めるのに役立っています。
さてヘンリ・ナウエンのこの本からこれまで何度か引用していますが、
上で引用した文章も、
分かりやすい内容、シンプルな言葉ながら、
味わいがあり、
いろいろと考えさせられます。

 

・お品書きじつと睨んで春隣  野衾