感動は自然への贈り物

 

この篇の終わり近くに、
「山林皐壌こうじょうは、実に文思の奥府おうふ
(山林や水辺は、まことに詩想の宝庫)ということばがある。
これは、
『荘子』知北遊篇ちほくゆうへん
「山林か、皐壌か、我をして欣欣然きんきんぜんとして楽しましむるかな」
を典拠としているが、
劉勰はさらに一歩を進めて、
自然がその美しさによって人を感動させ、
それが文学を生む原動力となることを指摘している。
そして、
篇の末尾には、
四言八句から成る韻文の賛が置かれて、全体の主旨を要約している。

 

賛に曰く、山沓なり水匝り、樹雜り雲合す。
目は既に往還し、心も亦た吐納す。
春日は遅遅として、秋風は颯颯たり。
情の往くは贈に似、興の来たるは答の如し。

 

んにいわく、やまかさなりみずめぐり、きまじりくもがっす。
めはすでにおうかんし、こころもまたとのうす。
しゅんじつはちちとして、しゅうふうはさっさったり。
じょうのゆくはおくるにに、きょうのきたるはこたえのごとし。

 

賛曰、山沓水匝、樹雜雲合。
目既往還、心亦吐納。
春日遅遅、秋風颯颯。
情往似贈、興来如答。

 

「山はたたなわり水は巡り、木々は交錯し雲は重なる。
目が自然と交感するとき、心にもまた情趣が息づく。
春の日はのどかに過ぎ、秋風はざわざわと鳴る。
感動は自然への贈り物、詩興は心へのお返し。」

 

(興膳宏『中国名文選』岩波新書、2008年、p.121)

 

以前『文選』を読んだときに、劉勰《りゅうきょう》の『文心雕龍』を知り、
ふたつが、いわば車の両輪のような関係であることを識りました。
明治書院の「新釈漢文大系」に上下二巻で入っており、
読もうと思っていた矢先、
興膳宏さんの『中国名文選』を開いたら、
『文心雕龍』が引かれているではありませんか。
引用文中冒頭の「この篇」とは、
『文心雕龍』のうちの「物色篇」を指します。
物色とは自然の風物のこと。
「感動は自然への贈り物、詩興は心へのお返し。」
まったく同感!
よくぞ言ってくださった、
と思います。
故郷、ふるさと、帰りなんいざ、の、人間の深層にある情趣を語って余りある文言である
気がします。
なお、
こまかいことですが、
《  》内の平仮名は、本ではルビになっています。
パソコンで入力するときに、ルビにできるかどうか、やり方が分かりませんので、
便宜的に《  》を使っています。
これまでも、そうしてきました。
また、上の引用文中、すべて平仮名で書いた箇所がありますが、
これも、
本のなかでは、ルビ処理をされていて、
通常わたしが用いている方式の《  》でもいいけれど、
読みづらくなる気がし、
それならいっそ、
という気持ちで、
ルビを含めて全て平仮名表記としました。

 

・顔は知る素性は知らず春隣  野衾