ロンドンでの恋は、
ワレラノ人生の真只中ノ(ダンテ)
三十八歳のわたしに、このように訪れたのである。それは、
わたしの人生の第一幕の終わりだった。
第二幕の終わりは、
一七八三年にヴェネチアを発ったときである。
そして第三幕の終わりは、
この回想録を書き楽しんでいるこのときに明らかに訪れるだろう。
そのとき、喜劇は終わることになるだろうから、
結局、三幕ということになる。
もし口笛を吹いてやじられるならば、
わたしは誰の言葉にも耳をかしたくないと思う。
しかし、わたしは読者に、まだ一幕の最後の場面もお話ししていない。
それは最も興味深いところだと、そうわたしは自負している。
恋ノ鳥黐《とりもち》ニ足ヲトラレタ者ハ
翼ヲ鳥黐ニトラレヌヨウニト、一生懸命ニ逃レヨウトスル。
世界ノ賢者タチノ意見ニヨレバ
恋トハ結局、狂気以外ノ何モノデモナイノダカラ。
(アリオスト)
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 5』河出書房新社、
1969年、p.256)
カサノヴァのロンドンでの恋は、
読んでいるこちらの身にまでその苦しさが及んでくるごとく凄まじい。
が、
いろいろあった(カサノヴァさん、いろいろあり過ぎ!)
にしても、
なんとかそこから逃れ出られたことは、読者としても、
ホッとする。
引用文中、ダンテとアリオストからの言葉が紹介されていますが、
五巻まで読んできたところで言えば、
アリオストの『狂えるオルランド』からの引用が頻出し、
もっとも多い。
それだけこの詩人の作品を愛していたのでしょう。
さて長丁場の『回想録』を通し、
読書家であり、かつインテリのカサノヴァの人生に寄り添っていると、
恋の冒険家ではないけれど、
『知恵の七柱』の作者にして、
オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を支援したトマス・エドワード・ロレンス
(「アラビアのロレンス」として有名)を連想する
ことがしばしばあります。
時代がちがい、身を挺した状況が異なるとはいえ、
性格的なものは、案外似ているところがあるように思います。
最大の共通点は潔さ。
・凍て道を女子と歩きて滑るかな 野衾