事実は小説より

 

終ってしまいました。なにが? 『カザノヴァ回想録』
ドキドキワクワクさせられたり、
ときに声を出して笑わせてもらったり、
さいごのほうは、
人の一生について、いろいろ考えさせられたりもしましたが、
全体を通して見ると、
カサノヴァ本人がじぶんの人生を愛おしみ、
思い出しながら、
書くことを楽しんでいると感じられ、
自伝を読んでくれるであろう未来の読者を楽しませよう、
そういうこころが自然と伝わってくる、
いい本でした。
が、
ほんとうに、そんなこと実際にあったの? 話を盛ってないか?
と、
俄かには信じ難いことが少なからず
書かれてあり、
「風俗史料としても」の謳い文句が分かる気がします。
下に引用する箇所など、
おもしろうてやがて悲しきをのこ
でありましょう。

 

その頃、
アルベルガティ・カパチェリ侯爵と名のるボロニアの一貴族のことが評判となっていた。
かれは自作の芝居を発表し、
みずからその芝居をじつに上手に演じていた。
かれが有名になったのは、
非常に高貴な家柄の出である奥方にどうにも我慢ができなくなったので、
その結婚の無効宣言を申し渡してもらい、
代わりに、
すでにかれの二人の息子を生んでいた或る踊り子と結婚したからだった。
かれは二人も息子をつくっているのに、
不能を理由にして、
最初の妻との結婚を無効宣言させ、
厚かましくも、
自分の不能を会議において証明したのである。
この会議という野蛮で滑稽な風習は、
今でもイタリアの大部分の土地に存続している。
鑑定を行なうのは、
四人の公正で決して買収されたりしない裁判官で、
かれらは素っ裸にした侯爵さまに対して、勃起能力を調べるためのあらゆる試験を行なった。
そして、
勇敢な侯爵は最も厳しく、
入念きわまりない吟味に耐え、つねに、
完全にだらりとした状態を保ちつづけたのだった。
こうして、
結婚は相対的不能という理由で無効を宣告された。
というのも、
かれには私生児がいたからである。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 6』河出書房新社、
1969年、pp.374-5)

 

・雪降るや午後から雨に変るかも  野衾