土井晩翠の心意気

 

この『イーリアス』訳の完成に当りて今更ながらいにしへ、北欧のイグドラジル樹の譬喩ひゆを思ふ。
万有成立の生命樹イグドラジル、
過去、現在、未来を兼ぬ、
已に成れるもの、今成るもの、後に成るものの一切である。
為すといふ動詞の無窮変化である。
今日のわが述ぶる言語、わが書く文章は、
原人が初めて言葉を発した以来の一切の人に負ふ。
厳密に曰つて、
我のものと称すべきは一もあることがない。
襟を正してしばし瞑目の後、我に返りてこの跋文をむすぶ。
昭和二十四年十二月四日  仙台にて
土井晩翠
(ホメーロス[著]土井晩翠[訳]『イーリアス』冨山房、新版1995年、p.1165)

 

言葉についてこういう感覚を持っていた人なんですね。
ふかく共感し、
スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』を連想しました。
土井晩翠は1871年12月5日生まれですから、
引用した跋文の日付は、
誕生日の前日であり、
翌日土井は、満七十八歳になったはず。
若いときから倦まず弛まずホメロスを読んできて、
七十代後半に至り、
おのれがおのれがと主張する
のでなく、
むしろ
「我のものと称すべきは一もあることがない」
と言い切る、
そこに、このひとの真実があると感じます。
七五調の日本語訳の本文の下に、小さい文字で短く註が付されており、
それを読むと、
土井がどんなふうに『イーリアス』に親しんできたか
の歴史が垣間見られ、
この詩人の大きさが偲ばれます。

 

・一日の贅沢ひとつ浅蜊汁  野衾