ある感想

 

年ふれば心や変はる秋の夜の長きも知らず寝しはなにどき

 

【通釈】年月を経過したので、あなたのお心が変わったのでしょうか。
秋の夜の長いのも気にせずに共寝したのは、どのような時だったのでしょうか。

 

(片桐洋一『古今和歌集全評釈(下)』講談社学術文庫、2019年、p.750)

 

片桐さんのこの本の底本に用いたのは、藤原定家嘉禄二年自筆書写本とのことですが、
それにはないけれど、
ほかの写本にでてくるものが、下巻の巻末に収録されています。
引用したのは、
六条家本にあるもの、
とのことですが、
この歌を読み、
片桐さんの丁寧な解説をながめているうちに、
ふと、
ある感想がわいてきました。
それはふたつの時間についてです。
この歌の冒頭に「年ふれば」ということばがでてきますが、
それによって喚起されたのでしょう。
つらつら一年半ほど、
もっとかな?
かけて読んできて感じたのは、
『古今和歌集』に登場する歌たちのベースに『万葉集』が厳然としてあること。
いくつかの歌に関しては片桐さんが説明していますけれど、
ほかの歌についても、
直接ではなくても『万葉集』が利いている
のではないか
と、
なんとなく、想像します。
『万葉集』の成立から『古今和歌集』の成立までは150年ほど
ありますけど、
その間に、
歌ごころのある人びとは、
『万葉集』をことあるごとに読み込んだのではないか。
その時間のたゆたい方、利き方、かげひびき。
これ、ひとつの時間。
もうひとつは、
『古今和歌集』から今わたしがそれを読んでいるまでの約1200年の時間の長さ、厚さ。
たとえていえば、
基礎年金と厚生年金みたいなもの?
ちがうか。
冗談はともかく、
ながい時間がたゆたい、揺らめきつつ、
げんざい時のわたしのこころまで及んでいるか
と思わずにいられません。
引用した歌など、
その感じ方は、いまとほとんど同じ、
時を超え、ひとがひとであるかぎり、変らぬ恋のこころかと思います。

 

・鰰や海の光を身に帯びて  野衾