ヒルティさん

 

ヒルティの『幸福論』を読んでいると、
厳格なおじいちゃんのまえで正座させられ
道徳の話を聴かされているような
そんな気分になるわけですが、
たまに頑固なおじいちゃんの一人合点なもの言いに出くわし、
思わずプッとふきだすようなところもあります。

 

しかしこの利己主義が意識的になりはじめるや、婦人は急速に悪化し、
そしてそれが美しい婦人である場合には、
この世における悪の最も危険な道具となる。
こうした魔力がその力をひろげようとしたら、そのときこそ断固としてこれに抵抗し、
その威力を揮わせないようにしなければならない。
だから、
なまめかしい、あるいは過度におめかしをした婦人には決して特別の注目を贈ってはならない。
そうするのが、彼女らのためにも、われわれのためにも、一番いいのである。
(カール・ヒルティ著/斎藤栄治訳『幸福論Ⅱ』白水社、1958年、pp.152-3)

 

にんげんに対して厳しい見方をするヒルティさんですが、
たとえば引用したこの箇所のものの言い方は、
一般論のなかに
きわめて個人的な感懐が潜んでいるようにも感じられ、
おもしろい。

 

・降り止まず千古の雪や空も海(み)も  野衾

 

春隣

 

あたたかくなりました。
玄関で靴を履き、階段を下りて外に出、その日の気に触れます。
しばらく立ち止まって深呼吸するときもあれば、
ただ景色をながめているときもあります。
さいしょの角まで歩いて西の方を見やれば、
高速道路をはさんで向こうの丘にあるマンションの間から、
雪を冠した富士山の頂上が
ほんのすこしだけ見えています。
このあいだ病院へ行く朝、
小さな公園を突っ切って丘の上に立ったときも、
やっぱり富士山が見えたっけ。
富士の高嶺にふる雪は。
いろいろなことを思う毎日がはじまります。
いろいろは思わないにしよう。
帯文の背に「世界を新しく」
と入れよう。
世界は日に日に新しく、刻々新しい、
ことを感じられる日はうれしい。

 

・足伸ばし指の先まで初湯かな  野衾

 

ことばとこころ

 

拙著『鰰 hadahada』を読んでくださった方からありがたいメールをいただきました。
そのなかに、
言葉は心を伝える挽歌、
ということばがありました。
死者を悼む歌が挽歌でありますが、
この場合の死者とはなにか。
それはこころである、
ということになるでしょうか。
メールをくださった方はこうも書いてくださっています。
「ああ、あの時の気持ちはこんなだった、
でもそれを言葉にできるのは、
その気持ちがもう終わったからだ、思い返せるからだ、
という悲しさが常にまとわりついています」
こころの挽歌としてのことば、
とても共感し、
うれしく思いました。
そしてこころを悼むことばはまた、
からだに裏づけられていることが悲しくもあります。
しかし、
ことばがなければ、
そんなことすら思わないでしょうから、
ことばの初源をみすえ、
ことばに感謝し
ことばをみがいて生きたいです。

 

・ふるさとの景深みゆく干大根  野衾

 

アマゾンのレビュアー

 

ワケ分かんない内にアブナクなって(橋本治『絵本徒然草』より)きそうなとき、
アマゾンの本のコーナーでレビューを見ることが間々ありまして。
すると、
「あ。このひとまた書いている」
ってなったりして、
まったく見も知らぬ人でありながら、
だんだんしたしく感じられてくるから不思議。
その筆頭が「料理研究家」研究家さん。
福岡に住んでおられるようですが、
たとえば、
高橋源一郎の『一億三千万人のための『論語』教室』 (河出新書)
についてのもの。
辛口ながら思わず笑ってしまいます。
それから「情熱的読書人間」の榎戸誠さん、
この方は、
古典から最近の本まで
よくぞここまでと思えるぐらいのスピードで本を読み、
またそれについて
矢継ぎ早にコメントしています。
たとえば、
ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』を
2011年12月の時点で七回読んでいるといいますから驚き。
それもレビューの内容から、
たしかにこの本、
榎戸さんのような読書人にとっては愛読書になるだろうなぁと思わされます。
三人目は、安楽椅子さん。
東京にお住いの会社員で六十代男性とのことですが、
この方の読書範囲もすさまじく、
かつ、
どんなものも自分の言葉で
(これは、料理研究家」研究家さん、榎戸誠さんにも共通)
感想を述べていると思われるところが素晴らしい。
じぶんには難しくてよく分からなかった、
こんなふうなことだろうか、
というたぐいのコメントもあり、
よけいに信頼できます。

 

・冬ざれてものぐるほしや句の生まる  野衾

 

古典を読むのは

 

クラシックは、ラテン語のクラシクス(classicus)という単語に由来するが、
これは形容詞で、最初から「古典的」という意味があったのではない。
クラシクスは、
実は「艦隊」という意味を持つクラシス(classis)
という名詞から派生した形容詞なのである。
(今道友信『ダンテ『神曲』講義』みすず書房、2002年、p.5)

 

クラシスとはもともと「艦隊」という意味で、
クラシクスとは
国家に艦隊を寄付できるような、
そういう意味での愛国者でもあるし、財産も持っている人のことをさした言葉で、
そこから転じて、
人間の心の危機において本当に精神の力を与えてくれるような書物のこと
をクラシクスと言うようになったということである。
もちろん書物ばかりではなく、
絵画でも音楽でも演劇でも精神に偉大な力を与える芸術を、
一般にクラシクスと呼ぶようになったのである。
(同、p.6)

 

そうかぁ。
そんな気もなく古典を読んできたけど、
そういわれると、
なるほどと納得する部分もあります。
「退屈で退屈でしょーがないから一日中硯に向かって、
心に浮かんで来るどーでもいいことをタラタラと書きつけてると、
ワケ分かんない内にアブナクなってくんのなッ!」(橋本治『絵本徒然草』より)

 

・冬真中シンク滴の円きかな  野衾

 

南原–ヒルティ–ダンテ

 

昨年、
南原繁の『わが歩みし道 南原繁―ふるさとに語る』
をおもしろく読みましたが、
そのなかに、
南原が若き日に読み
生涯の愛読書であったものとしてヒルティがあげられていました。
ヒルティか。
なので、
とりあえずヒルティの『幸福論』を読み始めました。
共感したり、
耳の痛いことが書かれていたり、
内面のふるえを吐露しているようで
にわかには測りかねるところも多々ありながらではありますが、
しずかに読み進めていたところ、
「内面的な人生行路のすぐれた寓喩的表現」
についての記述がありました。
そこに、
「しかし何といっても最も美しいものは依然『神曲』である。
すでに人生の経験を積んで、かなり成熟した年齢にさしかかったとき、
心ある人間が読むべき最上の書物である」
と。
そうですか、『神曲』ねえ。
ダンテか。
でもまぁ、
還暦はたしかに過ぎたけど、
成熟した年齢かどうか定かならず、
ましてじぶんが人生の経験を積んだなんてとても思えない。
とは言い条、
「最上の書物」
という言い方は気になります。
岩波文庫の『神曲』は山川丙三郎訳で、
山川が新井奥邃の門人であったというゆかりもあり、
若き日に理解の程度はともかく、
読むことは読みました。
あれからずいぶん時間がたってしまいました。
「われ正路(ただしきみち)を失ひ、
人生(ひとのよ)の羇旅(きりょ)半(なかば)にあたりてとある暗き林のなかにありき」
と山川訳は始まりますが、
同じ空なのに、
若き日といまではちがって見えるように、
ダンテの言葉も
ちがったふうに響いてきます。
ベアトリーチェ。
再読するのにちょうどいい時節かもしれません。

 

・初景色未生以前に見たるかな  野衾

 

馬と万葉集

 

伊藤博『萬葉集釋注』は七に入りました。
伊藤のライフワークといっていい仕事と思われますが、
万葉集の歌を解説しながら、
恩師のこと、ふるさとのことなどについて
無理なく触れられていて、
読書がいっそう楽しくなります。
この巻には馬のことがでてきて、
わたしの子ども時代と合わせ、いろいろ考えさせられます。
万葉集の3327(長歌)3328(反歌)は、あるじの死を知って馬が悲しむさまを詠った歌。
解説の文章で、

 

この一首、簡素な言葉づかいと古樸な調べの中に真情が溢れる。
馬の声を悲しみの素材に持ちこんだ万葉歌はこの一つのみ。
(伊藤博『萬葉集釋注 七』集英社文庫、2005年、p.216)

と記したあとにつづくのが下の文章。

 

馬は人の心を知る。戦時中、筆者の生家の馬が軍馬として召された。
遠く峠を越えて、諏訪の茅野駅まで父が送って行く時、生家の前の坂道を下りきって、
右へ曲がって姿の隠れてしまおうとする所で、馬は止まった。
長い首を上下左右に跳ねて、
ひひんと鳴いた。
そしてどうしても動こうとしないのであった。
坂の上の庭で見送っていた人びとは、
泣いた。
その馬の名は亀石号。
昭和十八年(一九四三)のこと。
亀石号とはついにそのままの別れとなった。
(同)

 

読みながら、こちらの胸もざわついた。
そうして、
「何しかも 葦毛の馬の いばえ立てつる」
何でまあ、この葦毛の馬が、こんなにも鳴き立てるのかと、
万葉集四五〇〇首のなかに
ただ一か所だけ取り上げられたという、
あるじの死を悼み鳴きたてる無名の馬の声が近くに聴こえるような気さえしてくる。

 

・雪しんしんと青き故郷や道三里  野衾