梅雨晴間

 

・詩を読みてすがる言葉や夏の海

東京学芸大学へ行ってきました。
遠かったー!!
武蔵小金井は遠い。
そこからまたバスだもの。
先生の研究室前で
会社の二人と待ち合わせをしたのですが、
余裕をもって会社を出たのに、
余裕をもちすぎ、
約束の時刻を五分ほど過ぎてしまいました。
無事に打ち合わせを終え、
正面玄関をでたところにあるバス停へ。
Kさんはさらに営業のため他の学部棟へ。
バス停に着くや専務イシバシが
バッグからおもむろに銅鑼焼きを。
半分にし、わたしに大きいほうをくれた。
「なにこれ?」
「銅鑼焼き…」
「見れば分かる。なんでこれ持ってるの?」
「昼ごはん食べなかったから」
「ふーん。ありがとう」
二人ぽけーと、銅鑼焼きを頬張っていると、
「バスなら、こちらですよ」
ん!?
見遣れば、
色の白い美しい少女。学芸大の学生さんかな…。
「ありがとうございます」
バス停の支柱のある場所は降り口で、
そこから三メートルほど離れたところが乗り口らしく、
そのことを教えてくれたのだ。
わたしたちが移動するのを見越し、
そのスペースを空け、すっと立っていた。
立ち姿がなんとも美しい。
このごろの、
黴の生えたような気分が
一気に晴れていくようでした。
駅前でバスを降りると、
彼女もそこで降りてきました。
目の前を彼女が通り過ぎるとき、
目礼すると、
彼女もわずかにお辞儀をし、
駅のほうへ向かって歩いてゆきました。
こんなこともあるものだと、
いい気分になってゆっくり歩き出しました。

・外れ無く天に軌道のある如し  野衾

Ⅰくん

 

・梅雨の朝バナナとたっぷりヨーグルト

高校二年のとき、
同じクラスにⅠくんがいた。
髪を肩まで伸ばし、
上は学生服、下はジーンズ、
(服装なんでもOKな学校だったので、
Ⅰくんだけでなく、
当時、そのスタイルで登校する生徒が多かった)
痩せてしなやかで、
鞭のようなⅠくんは、
雰囲気が、若いときの沢田研二にちょっと似ていた。
遊び人風のⅠくんはよく学校を休んだ。
喫茶店に入り浸っているだとか、
年上の女性と付き合っているという噂を耳にした。
真偽のほどは分からないが、
どちらでもよく、
とくに興味はなかった。
校舎の裏で煙草を吸った数名が停学を食らったとき、
Ⅰくんもその中にいた。
わたしとは住む世界が違う気がし、
大人びたⅠくんを仰ぎ見ていた具合で、
同じクラスでありながら、
わたしは一度もⅠくんと話したことがない。
勉強しているふうはないのに、
テストでは常に上位をキープし、
とくに世界史はいつも満点に近かったはず。
早稲田大学の政治経済学部に現役合格。
その後、
とんとⅠくんの噂を聞かなかったが、
陸上部でいっしょだった友人から先だって、
ずいぶん前にⅠくんが亡くなっており、
それも自死の可能性があると聞いた。
接点はなかったけれど、
学ランにジーンズ姿のⅠくんがときどき目に浮かぶ。

・六月を椅子に胡坐の読書かな  野衾

哀歌

 

・梅雨を待ち早く明けよと梅雨に飽く

充実の日は悲し
疲弊を燃焼と思へども
其は錯覚との追懐は 早も来…
久方ぶりの友との一献
この世の二番の好物
苦渋の体験より
抽出された
いのちの証し
事の葉は
慰めとはならじ
充たされた日は哀し
充たされぬ日は寂し
充たされても
充たされずとも
日は過ぎ
日は過ぎ
昏き底の焦慮の名残り
幾千の選択
幾千の岐路
遥かより 眺むれば
譬へば幾何の蜘蛛の巣の
吐いた糸に
掠め取られ
ああすればよかったの後悔は
闇に惑ひ
大儀の空を
抱く
夢うつつに
時は過ぎ
古臭き
恋は哀しき玩具
にて
背中の樋の

また痒み
消えず在り
陶酔は彼方へと去り

・六月の空を智恵子も眺めたか  野衾

詩の大鍋

 

・傷つきて詩の大鍋に浸かりけり

生前、飯島耕一先生にお目にかかった折、
いろいろうかがった話のなかで
今も覚えている幾つかのうち、
詩がいちばん
書きたいことが書ける、
とおっしゃった
ことが
今も印象深く記憶に残っている。
詩はそれだけ抽象度が高いということか。
高くても許されるのかもしれない。
抽象度の低いものは
読んでいて
ナマナマしくてイケない。
物を書くとき忘れていけないとされる5W1Hに
詩はあまり頓着しなくてよさそうだ。
そのことが書かれていないから、
詩は難しく分かりにくい
ということでもあるけれど。
抽象度の高さゆえに、
我もまたそこを見上げ、揺蕩い、
涙ぐむ。
東海の浜の韜晦の術。
5W1Hは若さの証し。
体験の混沌から抽出される
しずくをじっと待ち、
じっと待ち、
急ぐなよ急ぐな、
もっと待ち、
さらに待ち、
慌てずにそれを紙においてゆく、
したたる滴はまたダイヤ、
そうやってできた詩を読みたい。

・大鍋に哀れ身の浮く淵もある  野衾

堀口大學の詩

 

・ひむがしに旭日梅雨をはらひけり

魂よ、
お前は扇なのだから、
そして夏はもう過ぎたのだから、
片隅のお前の席へ戻つておいで、
邪魔になつてはいけないのだから。

魂よ、
お前は扇なのだから、
そして夏はもう過ぎたのだから、
もう一度自分に用があらうなぞと
思つてはいけないのだから、
たとへ夏はまた戻つて来ても
来年には
来年の流行(はやり)があるのだから。
……………

堀口大學の詩集『人間の歌』にある
作品「魂よ」の前半部。
辻征夫『私の現代詩入門 むずかしくない詩の話』(思潮社)
で知りました。
ぐっとくるね~。
そうそう。こないだここで紹介した山崎洋子さんも
近著で書いていました。
これまで何度かそうしようと思い、
ひとから勧められてもできなかったのに、
今回、過去と向き合い
それを文章に綴ることができた
そのきっかけは、
横浜市から届いた通達
「あなたは前期高齢者です」であったと。
笑うに笑えない。
わたしはまだ前期ではありませんが、
初期ぐらいではあります。
先日も大雨の中、
傘をすぼめ急いでタクシーに乗ろうとして、
前額をドアの縁にしこたまぶつけた。
まだちょっと傷が残っています。
寅さんのセリフにも
「惜しまれて、引きとめられるうちが花ってことよ」
っていうのがあったなぁ。
魂よ、お前は扇なのだから、かぁ。
ほんと。
収めるところに収めておかなければ。

・梅雨の道ちよびりちよんびりちよびりかな  野衾

弾ける笑い

 

・湯煙の梅雨吹き飛ばす女かな

六本木「禪フォトギャラリー」で開催中の
橋本照嵩写真展へ。
今回は「西山温泉
一九七四年に撮影されたもの。
西山温泉は山梨県南巨摩郡早川町にある湯治場。
うっとうしい雨の中、
会場に着いてサッと写真に眼をやったとき、
つい大笑いしてしまった。
湯に浸かった太ったおばちゃんが
四肢を伸ばした蛙が水に浮くごとく、
でっぷりとした尻を湯に浮かべ外を見ている。
なんとも伸びやか
大らかではないか。
また観音様にでもなったつもりか、
蹲踞の形でこちらを見、微笑むおばちゃん。
金歯銀歯の口、口、口。
若いおばさんの柔腰にそっと手を這わす男あり!
そう、
ここは混浴なのだ。
微笑、艶笑、苦笑、失笑、大笑、哄笑、
まさに笑いのオンパレード、
写真集は笑いの図鑑。
湯の温度と湯煙がそうさせるのか。
それにしても、
このごろの橋本照嵩の勢い恐るべし!
うっとうしいこの季節、
カラフルな笑いをもらいに行ってはいかが。
写真展は今月二八日まで。

・観音や破顔女の股開く  野衾

誰にでも

 

・ラフロイグ故郷までのディスタンス

山崎洋子さんの近著
『誰にでも、言えなかったことがある ――脛に傷持つ生い立ち記』
(タイトル、長!)読了!
巻を措く能はずとはこのこと。
親に捨てられ、頼りだった祖母は入水し自ら命を絶ち、
育ての母親と腹違いの弟には虐待を受け、
教師からは差別的な目で見られ、
と、
書きようによっては
陰陰滅滅おも~くもなるところ、
お人柄と文体によるとでもいうのか、
決して重く感じさせず、
露悪にもまた偽善にも堕さず、
颯爽としており、
読んでいて
風が通り過ぎるようにさえ感じるから不思議。
読みながら、
もらい泣きしたり、
もらい怒りしたりと忙しくもあり。
たとえば電車内。
シートに座っている著者の前に妊婦が立った。
著者はサッと席を譲る。
電車は走り二駅三駅。
妊婦の隣りの席が空く、
と思ったら、
速攻、妊婦の夫がそこへ座った。
あ~らら。
著者怒る。
なんでわたしに席を勧めない?
妊婦も妊婦、夫の行動をなんとも思わないのか。
そのことを後に知人に話したら、
今の社会が分かっていないよと笑われたというが、
わたしは著者に百パーセント同感です。
想像するだに腹立たしい!
怒りで煮えくり返る。
どきゃあがれこの馬鹿夫婦! と怒鳴りつけたい。
ということで、
お薦めですこの本。

・ラフロイグ舐めて不得の苦を忘る  野衾