詩の大鍋

 

・傷つきて詩の大鍋に浸かりけり

生前、飯島耕一先生にお目にかかった折、
いろいろうかがった話のなかで
今も覚えている幾つかのうち、
詩がいちばん
書きたいことが書ける、
とおっしゃった
ことが
今も印象深く記憶に残っている。
詩はそれだけ抽象度が高いということか。
高くても許されるのかもしれない。
抽象度の低いものは
読んでいて
ナマナマしくてイケない。
物を書くとき忘れていけないとされる5W1Hに
詩はあまり頓着しなくてよさそうだ。
そのことが書かれていないから、
詩は難しく分かりにくい
ということでもあるけれど。
抽象度の高さゆえに、
我もまたそこを見上げ、揺蕩い、
涙ぐむ。
東海の浜の韜晦の術。
5W1Hは若さの証し。
体験の混沌から抽出される
しずくをじっと待ち、
じっと待ち、
急ぐなよ急ぐな、
もっと待ち、
さらに待ち、
慌てずにそれを紙においてゆく、
したたる滴はまたダイヤ、
そうやってできた詩を読みたい。

・大鍋に哀れ身の浮く淵もある  野衾