荒事

 

・六月をフラれ寅さん見て過ごす

木戸敏郎の『若き古代 日本文化再発見試論』
を読み進め、
目からうろこが落ちる思いをしているが、
歌舞伎の演目「曽我狂言」についての考察にも
目を瞠るものがあった。
わたしはまだ観たことがないが、
曽我狂言というのは、
曽我兄弟が登場する芝居とそのヴァリエイションとのことで、
曽我五郎は弟で暴れ者。
に対し、
兄の十郎はやさ男。
歌舞伎では、
暴れ者の五郎のほうが主役で「荒事(あらごと)」、
やさ男の十郎が「和事(わごと)」で脇役というのが面白い。
この辺りからわたしは眼鏡を外し、
本を両手でつかみ、
本に顔をぐっと近づけて読み進める。
「「曽我狂言」は正月の演じ物である。
年の始めに曽我五郎の芝居を見るのが江戸っ子のならわしだった。
一年の冒頭に、舞台から発散される強いエネルギーを吸収しておくためだ。
舞台では五郎の力がいろいろな方法で表現されてゆく。
例えば“竹抜(たけぬき)五郎”といって、
地下茎が張っているはずの生えている竹を引き抜いて見せる。
あるいは“あくたい言葉”といって、罵詈雑言の限りを尽くす。……」
わたしはすぐに映画『男はつらいよ』シリーズを思い出した。
シリーズの多くにおいて、
映画の冒頭、
せっかく故郷に帰ったのに寅さんは、
ちょっとした言葉の行き違いから、
おいちゃんやタコ社長とつかみ合いの大喧嘩をする。
そのエネルギーたるやすさまじい!
年の始めに曽我五郎の芝居を見るのが江戸っ子のならわしなら、
年の始めに『男はつらいよ』の映画を見るのは
国民のならわしだったのだろう。
寅さんのエネルギーとやさしさに触れ、
また一年を頑張ろうと思ったのではなかったか。
わたしは『男はつらいよ』を映画館で見たことがない。
が、
ムシャクシャして
どうにもやりきれないときなど、
今もつい、
棚に並べたDVDの中から
適当なものを引っ張り出しては、
寝転がって見て楽しむのが倣いだ。
一本が二本、二本が三本。
やがて目頭を押さえたり、大笑いしながら。
そうしているうちに、
萎んで干からびたこころがちょっぴり息を吹き返し、
また頑張ろうかという気になる。

・雲流る林に蝉のしぐれかな  野衾