詩ってなんだろう

 

・この時期を年に一度の蝸牛

っていう谷川俊太郎さんの本があります。
詩が分からない詩が分からないって子どもの頃から
言ってきて、
念仏のように唱えたりするふうで、
あんまり言い過ぎると、
過ぎたるは猶及ばざるが如しってこともあるし、
謙虚なフリして
慇懃無礼ってことにもなりかねない。
が、
それでも、
大人になっても分からなくて、
いつの頃からかは、
ワカリマシェ~ンって
開き直った具合でもありましたが、
気がついてみれば、
このごろ詩や詩論ばかりを読んでいる。
詩ってなんだろう。
谷川さんの本の「文庫版へのあとがき」に
こんな言葉がありました。
「……始めのうち生徒たちは戸惑い、恥ずかしがることが多いのですが、
〈私〉の世界よりもはるかに広く深い〈言語〉の世界に気づき、
自分の内部と同時に外部に言語を意識するようになるとき、
単に詩とは何かを知るだけでなく、
彼らは言語というものの働きの根本に触れることになる
のではないでしょうか。……」
合点がいった。
もこもこ醸成されてきた気が落ち着いて。
ああ、
〈私〉の世界に飽きたんだなと。
自分もふくめこの世は〈私〉で混雑し、
行き惑い、
また生き惑い、
息苦しくなっている。
ああ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だよー。
嫌と思うのもまた〈私〉だけれど、
〈言語〉もまた嫌と感じ思っているに違いない。
そう思って〈言語〉の世界、詩を眺めると、
ふ~と息が深くなる気がする。
もう〈私〉はいい。
若いときの感性なんて、
だれだってキラキラしている。
要るのは私でなく詩であったか。

・蝸牛先祖は遥か海の中  野衾