虚階

 

・大雨に捲れ剥がれて緑かな

木戸敏郎の『若き古代 日本文化再発見試論』は、
サブタイトルに
再発見とあるとおり、
こちらの薄っぺらな知識をめくり、
剥がし、
足裏に大地を、
双肩に宇宙を感じるような
めくるめく読みの体験を与えてくれるが、
この本で初めて知った言葉や概念も少なくない。
虚階もその一つ。
虚実の虚に階段の階と書いて「こかい」。
「日本の伝統音楽の演奏において、
「虚階(こかい)」という特殊な演出がある。
演奏家と聴衆との間にあるコンセンサスが出来ているとき、
例えば同じリズムパターンを反復しているとき、
その一部分を、音を出さず沈黙の状態にすることを「虚階」という。
聴衆は音がないフレーズを、自分の想像力で補って次のフレーズに繋げる。」
ここを読み、すぐに源氏物語を想った。
紫の上に先立たれ気落ちし、
出家した光源氏のその後を描く「雲隠」は、
これまでいろいろ取り沙汰されてきたようだが、
帖の題のみあって中身がない。
中身があったのに何らかの理由で消された
と見る見方もあるようだが、
ここは作者の紫式部が意図的に設けた「虚階」
と見るべきではないか。
またまたわたしの妄想は飛ぶ…。
日々の暮らしはだいたいが昨日と同じ今日であり、
ほんの少ししか違わない。
違わないのが日常だ。
だから、どんどん忘れる。
忘れ忘れて、
それでも忘れられない階(きざはし)が浮かんでくる。
かけがえのない思い出。
繰り返し繰り返し浮かんでくるたび、
虚なる階は決して虚ろなものでなく、
人生の実と彼方の空を繋ぐ確固たる階と思えてくる。
妄想は分裂を回避する。

・大雨や声無き緑清清し  野衾