紙にできること

 

・夢心地に冷や水浴びせ大百足虫

本日、夜8時から弊社事務所でトークイベントを行います。
今回のゲストは、王子製紙株式会社
新事業・新製品開発センターマネージャーの
鈴木貴さんです。
昨日、
王子製紙さんから荷物が届きました。
なかは素敵な紙の見本帖。
本日ご出席くださるお客様先着40名にかぎり、
王子製紙オリジナル特製見本帖をプレゼント
(下の写真をご覧ください)いたします。
日本人は古来、
紙になじんできました。
子どもも大人も、日本人は紙が好きです。
『源氏物語』を読むと、
紙選びにその人のセンスが現れるとされ、
たとえば、
恋の歌を書く紙と
消息を伝える手紙文を書く紙では、
おのずからちがっています。
『源氏物語』に登場する末摘花は、
光源氏へ送った歌が
陸奥紙(みちのくがみ)に書かれてあり、
源氏に苦笑されます。
陸奥紙はふつう手紙を書くための厚い紙です。
紙にこめられた日本人の感性を味わい、
紙の現在、
未来について考えるために、
ひとときゲストのお話に耳を傾けてみませんか。

●日時 本日20時~
●場所 春風社
●参加費 1000円

・大百足虫アリが百匹繋がれり  野衾

おもひいで

 

・そろそろか胡坐瞑想梅雨の明け

『鬼平犯科帳』のなかに、
若いときの無茶や恋は年取ってから思い出すのに、
都合がいいだか、味があるだか、
とにかく、
なかなかいいものだよというようなことを
長谷川平蔵が語る場面が
たしかあったと記憶しています。
ひととの出会いは、
時間がたつとがっかりすることがあり、
それは相手だってそうでしょうから、
お互い様で何をか言わんやなのですが、
そうであればこそ、
忘れられない思い出がいくつかあり、
場所をとらず、
重さがなく、
ひとに迷惑もかけないので、
ふと浮かんだときは、
あわてて押し遣ったりせずに、
静かにながめ、
季節の味を楽しむようにしています。
こころが騒ぐことも最早ないし。
今日から「若菜」に入ります。

・面接の娘眩しく眼を逸らす  野衾

生かさず殺さず

 

・雨なれば欧陽菲菲も歌ひたり

昨日顧問税理士の先生がいらっしゃいました。
月一度の訪問を楽しみにしています。
このごろつくづく会社経営は難しいと感じていますから、
先生に今の状況をいろいろ尋ねます。
つたないわたしの意見も言います。
消費増税についていえば、
遅かれ早かれ上がるでしょう。
もはやあきらめています。
事業仕分けを本気で取り組み、
だれが見ても納得のいくものであれば、
増税についても見方は変わったと思います。
が、
あんな下らぬパフォーマンスを見せられ、
むしろいかに無駄が多いか、
その片鱗を示されて、
増税已む無しと言われてもだれが納得するものか。
不退転の決意とほざくあの面を目にするたび、
張り倒してやりたくなる。
増税をしないと約束して政権をとったくせに、
喉元すぎれば熱さを忘れるの類よろしく、
増税推進論者の泥鰌を首相に据えた時点で、
はっきりとした裏切りではないか。
なにが不退転だバカヤロー!!
腹がだんだん煮えくり返ってきたぞ。
眼がだんだん血走ってきたぞ千葉真一。
ダジャレも出ようじゃないか。
くそっ。
小さいながら会社を経営していて感じるのは、
中小零細企業にとって、
日本の税法はまったくもって
生かさず殺さずの愚法、
あいつらにとっての良法であるということです。
やる気をなくすよ。

写真は、りなちゃん作。

・梅雨なれど東の空の茜色  野衾

つ、ついに

 

・雨なれば三善英史を口ずさむ

昨日、
二〇一二年六月二五日、
金沢八景駅で京浜急行上り普通電車に乗ったところ、
ミル貝のように脚を伸ばした野球少年から、
席を譲られました。
人生初。
お礼を言い、
丁重にお断りし、
わたしは立ち続けました。
春風社から本を出している著者で、
電車内で初めて席を譲られ、
三日寝つきが悪かったという方もいらっしゃいますが、
きのうは酒を飲んだせいもあってか、
わたしは別にそんなことはありませんでした。
席を譲られたのも、
わたし一人だったらどうだったか分からないと、
自分を慰めています。
実は、
事が起こったのは、
専務イシバシと二人で横浜市立大学へ行った帰りでした。
電車に乗ったとき、
端っこの座席が一つだけ空いており、
イシバシに座るように言いました。
イシバシがシートに座って間もなく、
ミル貝の脚の野球少年が立ちましたから、
わたしとイシバシを夫婦連れとでも思ったか、
少なくとも他人同士ではないと感じて、
それならば、
一人が座ってもう一人が立っているのは気の毒と、
心のやさしい少年は席を譲るべく
立ち上がったのかもしれません。
ま、
そんなふうに思考をめぐらすところを自ら分析すれば、
席を譲られたことが
いささかショックであったことの証拠でしょうか。
いずれにしても、
電車内で初めて席を譲られた記念の日として
記憶にとどめておこうと思います。

・勘違い電車降りるもまた乗った  野衾

『イリアス』と『北斗の拳』

 

・肩凝って鍼灸するもまた凝った

けして笑い上戸ではないのですが、
岩波文庫の『イリアス』(下)
を電車の中で読んでいたら、
思わず声が出てしまいました。
一四七ページ。
「御者は曲芸師の如くもんどり打って頑丈な座席から下へ落ち、
命は骨を置き去りにした。」
神も人も一緒くたになっての壮大なドラマ、
一大叙事詩であるとはいえ、
『マハーバーラタ』のときも感じましたが、
今の感覚からすると、
表現が大げさというか、
比喩の度が過ぎて滑稽な気がします。
上の「命は骨を置き去りにした」を読み、
プッとなったとき、
ケンシロウの
「お前はもう死んでいる」を思い出しました。
『北斗の拳』を寿司屋のテレビで初めて見、
あのセリフを初めて聞いたとき、
口に含んでいたマグロが危なく
外へ飛び出しそうになりました。

・南明けこちら本格梅雨となり  野衾

蒸し風呂状態

 

・梅雨湿り背中の垢も浮きにけり

わたしが週一で通っている気功教室は、
横浜駅西口から徒歩五分のところにある
かながわ県民センターが会場ですが、
民間企業とちがって融通の利かないところがあり、
たとえば、
どんなに暑くても、
七月前には冷房を入れてくれません。
暖房にしても然り。
電力需給のバランスが問題になっているこのご時勢、
節電に努めることは
理にかなっているとはいうものの、
体に理屈は通用しません。
わたしは普段あまり汗をかかないほうですが、
きのうは、
頭蓋骨と皮しかない額からまで汗がふきだしました。
今流行りのサプリメントを飲むよりも、
よほど健康的です。
あと一回、
来週も蒸し風呂に入らなければなりません。
ふ~。

・梅雨湿り秋に劣らぬ読書かな  野衾

五月闇

 

・天竺の空や遥かに五月闇

五月闇と書いて、さつきやみ。
夏の季語です。
愛用している『合本 俳句歳時記 第三版』(角川書店編)
によれば、
「五月雨、つまり梅雨のころは暗雲が垂れ、
夜はあやめもわかぬ闇となる。
梅雨闇などともいう。」
あやめもわかぬは、
文目も分かぬ、
模様も分からぬほどの漆黒ということでしょうか。
日本の五月闇とインドの闇では同じか違うか。
そんなことを思い、
このごろ闇に向かって目を据えています。
私見をいえば、
インドの闇のほうが、
もっと厚みがあった気がします。
それに、
輝いていました。
輝く闇。
それに対して日本の闇は、
同じ闇でも
厚みを感じさせず、
風通しがいい。
人も時も吸い寄せられていきそうです。
そこから現れ、そこへ消える、
海ならなぎさ、
陸ならくさむらでしょうか。

・遠雷や玄奘の途はるかなり  野衾