茶話

 

・六月の雨の恋しきときもあり

薄田泣菫(すすきだ きゅうきん)の『茶話』は、
短い面白い話がいろいろあり、
細切れの時間に数話読むには最適で、
わたしは、朝、
コーヒーを淹れるあいだの三個の短い時間に読んでいます。
取り上げられているエピソードの面白さはもちろん、
比喩がとっても面白い。
たとえば、
大正六年七月十八日「筍(たけのこ)問答」という文章があります。
摂津の蘆屋に住む老夫婦のことが取り上げられています。
お婆さんが病床につき、
もうあきまへんと弱音を吐く。
それを聞いたお爺さん、
「水洟(みづはな)と一緒くたに涙を啜(すす)り込むだ」のですが、
「涙も水洟も目高(めだか)の泳いでゐる
淡水(まみず)のように味が無かった。」と文章が続きます。
淡水のように味が無かったで十分だと思うのですが、
目高の泳いでゐる淡水のように、
というところが面白い。
まったくもって味が無いことが強調されています。
前に読んだところで、
「葱(ねぎ)のように寒い歯茎(はぐき)」
という比喩が出てきて笑ってしまいました。
泣菫先生、悠々伸び伸び、
たのしんで書いていたのでしょう。

・ピンク地のカーテンより光り洩れ  野衾