大人

 鎖骨の状態を診てもらいに仙台へ。レントゲン写真を撮った結果、折れたところが近接し経過は良好とのこと。新しい骨は六週目くらいから出てくるとか。ふむ〜。なんだか木みたい。
 新幹線での行き帰り、田村隆一『自伝からはじまる70章』(思潮社)を読む。副題に「大切なことはすべて酒場から学んだ」とあり、肩の凝らない文章で、途中居眠りもしたから一気に読むことはなかったが、それでも横浜に着く頃には一冊読み終えた。
 田村さん曰く、酒場に音楽は要らぬという。カラオケなどはもってのほかと手厳しい。カラオケがないではわたしなど酒を飲む楽しみが半減するから、田村さんが生きていたらお呼びじゃないということになる。それにしても楽しく酒を飲むというのは難しい。飲むほどにどうしても地が出てきて大声になったり要らぬことをベラベラしゃべったりと無くて七癖が出る。これなども田村さん流にはもってのほかということになるのだろう。上手に酒を飲めるのが大人。まずは飲みすぎないことか。

自由

 『宗像教授伝奇考』第六集の途中まで読みすすむ。面白い! 博覧強記の民俗学的知識に裏付けられた謎解きに現在の人間ドラマが重なるから良質の短篇になる。また、各篇に登場する女性が美しく儚げで魅力的。ちょっとおっちょこちょいなのも可愛い。この女性の形象は作者・星野氏の好みによるのかもしれない。
 何集目かの解説にもあったが、主人公の宗像教授は文化の伝播が国境を超えてなされたことを想定し、よく口にする。学生のころ教授に教えてもらったある女性が、謎解きに向かう教授に同行しながら、「教授はすぐ外国から来たというんだから…」と感想をもらす。今なら、国境が定められ、パスポートがなければ境を越すことはできないが、そもそも境は人間が定めたものだ。もとから国境などというものは存在しなかった。
 時間は今と比べられないぐらいにゆっくりと、しかし、水の低きに就くがごとくに自由に広がるべきところに色々なものが広がった。シルクロードはその代表的な例に過ぎないのだろう。星野ワールド満喫! 読み切るのが惜しい。

止められない!

 久しぶりに止められないマンガに出くわした。『宗像教授伝奇考』がそれ。作者は星野之宣(ほしの・ゆきのぶ)。異端の民俗学者・宗像伝奇(むなかた・ただくす)が各地に伝わる伝説の謎に挑むというもの。
 このマンガと作者を教えてくださったのは佐藤文則さん。長くアメリカにおられ、フォトジャーナリストとして名をなし、『ハイチ圧制を生き抜く人びと』が岩波書店から出ている。飯島耕一さんの詩集『アメリカ』の装丁と扉に使われた写真を撮った方でもあり、今回、小社から刊行された飯島さんの傑作短篇小説集『ヨコハマ ヨコスカ 幕末 パリ』にも佐藤さんのカッコイイ写真を使わせてもらった。
 打ち合わせで来社された折、なんの話からそんなことになったのか思い出せないが、面白くて止められない本があるとおっしゃるから、なんの本ですかと尋ねて教えてもらったのが上の本。宗像伝奇の名が天才民俗学者・南方熊楠(みなかた・くまぐす)から取られたことからしても、このマンガの心意気が知られようというものだ。
 民俗学というと、まず柳田国男のあの独特の眠くなる文章を思い出すが、星野氏のマンガは民俗学って面白いじゃん!て思える目から鱗の内容で、謎解きに向かう宗像教授は超カッコよくスキンヘッドなのも好ましい(なぜ好ましいか、黙、分かる人には分かるということで…)。第一巻、白鳥伝説が残っている土地と鉄の産地がほぼ重なることの考察なんて、もうワクワクドキドキもの。きょうも続きを読もうっと。

日頃のつきあい

 『はじめよう! 生きがいとしての英語』の著者・石田正先生来社。昼食をご一緒させていただきながら色々お話をうかがう。
 驚いたのは、一昨日の夜、いきなり奥様が「わたし、本を持って関西の友達に売ってくるわ」とおっしゃり、昨日、車に70冊積んで出かけたとのこと。その行動力に(被ってないけど)脱帽! 一緒に居合せた専務イシバシ、武家屋敷ノブコも「凄いですねぇ〜!」と、しきり。本を売るということを御客様から改めて教わった次第。そうなんだなぁ。一冊一冊、この心がけをつい忘れてしまうのよ。
 先生いわく、「ただ教えているときは分かりませんでしたが、本を出してみて、いかに日頃のつきあいが大事かということが身に染みて分かりました。ありがたいことです」先生、少しはにかむようにして、さらに「それと夫婦のつきあい…」なるほどねぇ〜。そうだよなぁ〜、旦那さんの本を「わたし売ってくる」とはなかなか言えないものなぁ〜。
 食事を終え野毛の交差点で別れぎわ、先生は最後におっしゃった。「自分だけの楽しみというのは限度があります。自分がなにか人様の役に立つ、喜ぶ姿を見るのは本当にうれしいものです」本づくりの喜びをこちらも味わわせていただきました。ありがとうございます。

ときどき整理法

 大学の先生が提唱する「超」がつく整理法も試してみたが、いつのまにかやらなくなった。なんでだか分からない。結局これも身の丈に合うものでなければ長続きしないということだろう。
 会社の仕事机の上に重ねた書類がうずたかくなり、危うく崩れそうになったから、左手が使えないので右手で持てるだけの束を持ちひっくり返し、さらにつぎの束をひっくり返して前のに重ね、ちょうどクワで掘り返した土を畦に積み上げるようにする。この時点では机上の書類が裏返ってただ移動しただけ。問題はこれから。
 一番上の書類(さっきまで一番下のもの)から順番にていねいに見ていくのだ。途中で頓挫した企画があったり、なんのために出力したのか意味不明な記事もある。手紙もある。半年前、一年前にもらった手紙が紛れ込んでいることもある。きっと、新しい企画へのヒントになるかもしれない、とでも考えたのだろう。それすら思い出せない。機械のメンテナンス契約の書類もある。これを入れるファイルを作るのが大げさな気がしてヒョイと目の前の書類に重ねたか。
 というわけで、いろいろなものが次から次へと出てくる。さてそれから。もはや残しておいても役に立たないと即断したものは破って捨てる。が、?役に立つ、あるいは?役に立つかもしれない、はたまた?役に立たないとは必ずしも言いきれない、と三ランクのいずれかに属する場合は元の位置に重ねていく。これがわたしのときどき整理法。一年に一度か半年に一度。
 あまりパッとしない方法だがわたしには合っている。ほんのときたま、いかにも感情的になって書いたと知れる、なんだか訳の分からぬ人生訓・処世術みたいなものがメモ用紙の切れ端に走り書きしてあり、恥ずかしくなって、人知れずレシートを破くよりもさらに細かくちぎってゴミ箱へ捨てる…。
 これ、ずぼらな整理法ながら、眼を白黒させたり顔を赤く染めたりしながら、でもけっこう楽しめる。次は年末かな。

中敷きに感動!

 愛用しているホーキンスの靴がだいぶ傷んできたので行き付けの靴屋に行ったら扱わなくなっていた話を先日ここに書いた。ネットで調べたら横浜駅西口の岡田屋モアーズの五階ABCマートで扱っていると知りさっそく買いに行き二足ゲット。締めて一万二一八〇円。かつて二回とも黒二足ずつ購入してきたが茶色も捨てがたくいいので今回は黒と茶色一足ずつにする。
 目的の靴をゲットし満足して帰ろうとしたとき、傷んだ二足の靴を思いだし、たしかに傷んではいるけれども、まだ捨てるほどではないなと思い直し、いったん店を出ていたのを引き返して、お兄さんに「中敷きはありますか」と訊いてみた。「こちらです」と案内されたコーナーに幾つかの種類が吊るされており、抗菌・防臭・吸汗と太文字で書かれたものを二つ購入。締めて二一〇〇円。
 家に帰りいつも履いている靴から中敷きを取り出し新品に換えた。その状態で昨日一日履いていたのだが、履き慣れた古い靴がなんとも快適で履き心地抜群! こりゃいい! こりゃいい! と何度も言っていたら、武家屋敷が笑いを堪えた表情で「ずいぶん元気になりましたね」だって。でも、本当だからしょうがない。中敷きひとつでこんなに気分が変るものかね。快適も快適だが、古くなって捨てなければと思っていたのが再生したようで、それがいっそう気分よい。

若鶏クワ焼き

 昼、久しぶりに馬車道の勝烈庵へ。盛り合わせ定食2100円は少々値が張るが、食べたことがないので頼んでみる。
 若鶏クワ焼き+ひとくちカツ+エビフライ。ひとくちカツとエビフライなら、すでに味を知っているので驚くことはない。いつものように、美味い! さて若鶏クワ焼き、タレが鼈甲色に輝き、いやがうえにも味覚を刺激してくる。ひと切れ目を口中へ。うっ。この味! ず〜っと昔、田舎でよく食った好物の味に似ている。そう、スズメ。なつかしいスズメの焼き鳥の味ではないか。じわ〜んと目がうるむ。タレも酷似している。横浜でこの味に会うとは思わなかった。週に一度はしばらく通わなければなるまいな。うん。