創造という記憶

 

柳瀬尚紀さん訳のも持ってはいますが、
どういう方針で翻訳したものであるかを知っていましたから、
なかなか読み始めるところまでいかず、
時間ばかりが過ぎていたところ、
宮田恭子さん編訳による『抄訳 フィネガンズ・ウェイク』(集英社、2004年)
を読むことで、
難物の概略をつかむことができたと思います。
宮田さんが訳された
リチャード・エルマンさんの『ジェイムズ・ジョイス伝』
で宮田さんの日本語に親しんでいたことも与って、
詠み通すことができた気がします。
『抄訳 フィネガンズ・ウェイク』は、
そのルビと注が、ふつうのものとちがい、画期的なものですが、
それに関する説明文の冒頭、
ジョイス文学の根幹にふれると思われる文章がありました。
わたしは日本語に訳されたものを読むだけですが、
その意味するところに目を開かれる思いがし、
ふかく共感した次第です。

 

『フィネガンズ・ウェイク』の言語は多層性を特徴とする。
「創造とは記憶のことである」と言うジョイスは、
歴史、宗教、神話・伝説、文学、音楽(歌)、各国語、その他様々な分野の
人類の記憶から材料を収集した。
ジョイスの伝記作者リチャード・エルマンは、
すぐれた作家は過去のあらゆる作品に「収用権」
(本来は法律用語。本人の許諾なしに公益のために財産を収用する権利)
を及ぼすと言ったが、
『フィネガンズ・ウェイク』はこの「収用権」を最も徹底的に行使した作品である。
ジョイスはそのように収集した材料をこの作品で
みずから創造した言語に凝縮させた。
本訳では、
意味が伝わりやすいことを願い、
右のような性格の原語に見合った、複数の意味を持つ訳語を作り出す
ことはあえてせず、
多層性・多義性(その一部にすぎないが)の理解を
ルビと脚注にゆだねることにした。

 

・冷蔵庫鳴るほの暗き朝の秋  野衾