ジョイスさんと西田さん

 

宮田恭子さん編訳による『抄訳 フィネガンズ・ウェイク』(集英社、2004年)
を読んでいましたら、
「ミコラス・ド・キューサック言うわが衝動的自我の百倍の自己
――無論わたしは向後においてはそれらすべてから自己を解放する――
わが自己が反対の一致により
あの識別不能なるものの内的同一性において再融合されんことを」
という、
小難しげな、
でもってなんだかとっても深い意味がありそうな、
ちょっと目が留まる箇所に出くわしました。
「反対の一致」?
「内的同一性」?
『フィネガンズ・ウェイク』において、
ジョイスさんは、
固有名詞をわざとずらして表記していますから
気を付けなければなりません。
宮田さんの懇切丁寧な訳注によれば、
ミコラス・ド・キューサック
は、
ニコラウス・クザーヌス(1401-64)さんのことであることが分かります。
クザーヌスさんは、
「反対の一致」という世界観が有名な
ドイツの聖職者・哲学者で、
その影響は、
わが西田幾多郎さんにまで及んでいます。
クザーヌスさんの『神を観ることについて 他二篇』が、
八巻和彦(やまき かずひこ)さんの訳で岩波文庫にも入っています。
西田さんといえば「絶対矛盾的自己同一」。
「絶対矛盾的自己同一」
は、
たしかにクザーヌスさんっぽい。
ジョイスさん、それとクザーヌスさん。
なるほど。
そうか。
考えたことなかった。
クザーヌスさんをかすがいにしての、
ジョイスさんと西田さん。
まるで、
小学校の音楽室に飾ってあったモーツァルトさんと瀧廉太郎さんの肖像を仰ぎ見る
ようなそんな気分。
知らないことを知るのは楽しい。
井之頭五郎な気分、
であります。

 

・舌噛んだ痛みこらへて秋の空  野衾