死に際しての贈り物

 

三十年ほど前のことになりますが、大好きだった祖母が亡くなりました。
亡くなった年の正月に帰省した折、
入院先の病院で会ったのが最後でした。
そのとき祖母に言われたことばは今もはっきり覚えています。
秋田で行われた葬儀に参列しているあいだ、
なんとなく、からだがビリビリし、
悲しいとか、いなくなって寂しいとか、そういう感情、それもなくはないけれど、
それよりも、
ビリリと、からだがまっすぐに伸びて、
こころも伸びて、気圏のかなたから何かが降ってきて、
いまそれを全身に浴びている、
とでもいうような不思議な感動につつまれた。
ああ、おばあさんは、ぼくに最後の贈り物をくださったのだ。
(どうすることもできない悲しみが、あとからやってきた)
それから数年経ち、祖父が亡くなった。
また、
敬愛し慕っていた先生たちが亡くなり、
畏友の死にも遭った。
その都度、ビリリはやってくる。
からだがまっすぐに伸びて、
そうだ、
もうもう、まっすぐに生きていこう、その他のことにはあまり気を取られまい。
受けとる側の問題で、
この世を去っていく人が意識してすることではない
のかもしれませんが、
たしかにいただくものが、
死に際してあるのだと感じ、思います。

 

聖霊(せいれい)  神の霊の別名。特に新約聖書においてこの表現はひんぱんに
用いられ, 重要な事柄を表している。
イエスは聖霊によって身ごもったマリアからお生まれになり
(マタ1:18,20, ルカ1:35), ヨルダン川で洗礼を受けたときに,
聖霊がイエスの上にお降りになった(ルカ3:22)。
復活したイエスが約束されたとおり,
聖霊は五旬祭の日,
イエスの弟子たちの上に降って(使2:1-4), 教会が生まれた。
パウロによれば,
イエスの死と復活によってわたしたちに与えられる最大の贈物は聖霊であり,
「わたしたちに与えられた聖霊によって,
神の愛がわたしたちの心に注がれている」(ロマ5:5)
(日本聖書協会『新約聖書 詩編つき』新共同訳、2012年、巻末付録pp.29-30)

 

・クラクシヨンきけば天竺夏の旅  野衾