こころの根

 

朝、Sくんに電話。大学一年生のときからSくんと呼んできました。
わたしのことはみうらくんで。
定年退職したと先だってSくんから電話をもらい、
きのうはわたしから。
一年生のとき、
わたしは仙台市八木山のアパートに住んでいましたが、
Sくんは、二度三度、
もっとかもしれません、
自転車を漕ぎ、八木山のあの険しい山坂を越え、訪ねてきてくれました。
ながい付き合いです。
短めに話を切り上げようと思っていたのに、
相手がSくんとなると、
ついつい話が長くなってしまいます。
「ところで、『青葉もゆるこのみちのく』の歌おぼえてる?」
「ああ、おぼえているよ。学生歌だろ」
と言って、Sくんは電話口で、
一番の歌詞の冒頭を口ずさみはじめました。
「そう。それそれ」
「なつかしいな。それがなにか…?」
「うん。あの歌の作詞をした人な、おれたちと同じ大学の卒業生で、
その後、牧師になったんだよ」
「へ~。知らなかった。だれ?」
「のだしげる(野田秀)さんていうひと。1932年生まれだから、おれの父よりひとつ下」
「へ~」
「くわしい経歴は分からないけれど、ウィキにもでているよ。
『青葉もゆる~』の歌を作詞したとき、野田さんはまだ牧師ではないと思うけど、
キリスト教的精神はすでに持っていたんじゃないかな、
ただの想像だけど。
そう思って『青葉もゆる~』の歌の歌詞を改めて眺めてみると、
ちょっと歌の景色がかわってくる」
「なるほどね~」
「それと、おれたちが出た大学な。創立にあたって古河鉱業がおカネを出しているんだよ。
足尾鉱毒事件で有名なあの古河。足尾鉱毒事件ていえば、
すぐに田中正造を思い出すけど、
その田中さんが国会議員を辞め、足尾の鉱毒被害民のために奮闘しているとき、
東京に出てくるとたびたび寄った先が、
新井奥邃(あらい おうすい)の謙和舎で。
田中さんのキリスト教は、新井奥邃のキリスト教だというひともいるけど、
おれもそう思う」
「へ~。そうか」
「だからね。東北大学って、国立だけど、
ゆる~くキリスト教と関係している、
って言えないこともない。
それから、
おれが高校の教員になったそもそものきっかけでもある林竹二さん、
林さんも、東北大学の卒業生だけど、
若いときに角田桂嶽(かくた けいがく)という牧師から洗礼を受けたらしい」
「へ~」
「そんなこんなで、
あの大学の根っこのところがだんだん見えてくる気がして」
「なるほどね~」
「ごめん、また長くなってしまったよ。
聞いてくれてありがとう」
「いやいや。ありがとう。本が書けるんじゃないの」
「いや。聞きかじり、読みかじりの知識だから…。
また電話するよ。次回は短めに」
「うん。元気でね、おたがいに」
「そうだね。元気でね」

 

・新緑やひかりさざなみ三渓園  野衾