風はこころをつくる

 

本を読まない子どもだったわたしが、のちに本を読むようになったきっかけが、
小学四年生のときに母が買ってきてくれた『こころ』
であることは、
これまで、書いたり、話したりしてきましたが、
読書のきっかけだったというだけでなく、
今も気になります。
その場合のこころは、
漱石の『こころ』でなく、
知と情と意で構成されるという人間のこころそのものなのですが。
神経心理学の山鳥重(やまどり あつし)さんの本から、
先週、この欄に引用しましたが、
知・情・意は、順番が、知→情→意でなく、情→知→意、
というのは、
まさに目から鱗が落ちるようでありました。
なおかつ、
情が「瀰漫性の経験」である、
ということがこころに残っています。
「瀰漫性」だもの。
ひろがり、はびこるような経験が「情」こころの元だといわれれば、
うつを経験した人間からすると、
なおさら、
なるほどと納得です。
また、
このごろ気になるAIについて思考をめぐらせると、
やはり気になるのは、人間のこころ。
どこまでいっても、
こころ、こころ、ではあります。
さて、
こころつながりということでいいますと、
西行さんの歌にこんなのがあります。

 

おしなべてものを思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風

 

峯村文人(みねむら ふみと)さんの訳は、
「一様に、物思いをしない人にさえ、物思いの心を起させる秋の初風よ。」
秋風がこころつくる。
さすが西行さん、と思いますけれど、
そういう感性はけっこう多くの人が持つものなのかもしれない、
それをよくぞことばにしてくれた、
だからさすが西行さん、
なのかな。

 

・鯉ゆらり桜蘂降る川面かな  野衾