吉井和哉の「みらいのうた」

 

先だって、帰省のことで秋田に居る弟と電話で話していたとき、
話の最後に、
「ところで、兄貴、よしいかずやのみらいのうた、知ってる?」
と訊かれました。
「いや、知らない」
「俺も知らながったけども、クルマ運転しているどぎに、ラジオがら流れできて、
なんとなぐ聴いでいだら、とてもいい歌だった」
「そうが。わがった。聴いてみるよ」
弟が、こういうことをつたえてくるときが、
たまにあります。
よしいかずや、は、調べると吉井和哉、
でした。
ザ・イエロー・モンキーのリードボーカルだった人で、バンド解散後は、
ソロで活動しているようです。
ザ・イエロー・モンキーというバンド、
名前を聞いたことはありますが、
その楽曲を意識して聴いたことはありません。
さて吉井和哉の「みらいのうた」、
YouTubeを検索し、さっそく聴いてみました。
ゆっくり静かなメロディにのせ、
「何もかも嫌になった こんな時何をしよう」と歌がはじまります。
さいごまで静かに聴きました。
二度目、歌詞を味わいながら、聴きました。
三度目、すこし熱くなりながら、聴きました。
2021年ですから、
さいきん発表された歌でした。
わたしの癖で、
このひとがどういう人物か、知りたくなりました。
こういうとき、インターネットは便利です。
本も出ていました。
『失われた愛を求めて―吉井和哉自伝』
2007年に発売されています。
レビューの多さから、
この人の人気の程が分かります。
おおむね高評ですが、なかに、低い評価ながら、ちゃんと本を読んで真面目に書いている、
だけでなく、
この人も吉井和哉のファンであると感じられる、
そういうレビューがありました。
評価の高低に拘らず、
共通して多く登場している単語に
「赤裸々」
があります。
なるほどと思いました。
赤裸々、というのは、ひとつの価値ではありますが、
すべてではありません。
自伝ということになると、
自分と関わった自分以外のひとのことも出てくるでしょうから、
尚更です。
評価の低いレビューの論調は
「赤裸々」の是非に関係しているようです。
まだ読んでいないので(はい。ネットで注文しました)
なんとも言えませんが、
本の発売が2007年、
「みらいのうた」が2021年、
ということは、
この間十年以上の時間が経過しており、
「みらいのうた」の歌詞にある「いろいろいろんなこと」が
吉井さんにあったであろうことは、
容易に想像できます。
いつものように朝、四時に起きてこのブログを書き、出社して仕事をこなし、
家に帰ってきて夕飯を食べ、テレビを見、
それから床に就きます。
朝四時に起きてブログを書き、
またYouTubeを検索し「みらいのうた」を聴きました。

 

・し残しのことを机上に冬ざるる  野衾