東海林太郎と三橋美智也

 

東海林太郎(しょうじ たろう)といえば、秋田の先達であり、
わたしの母校の大先輩でもありますが、
若いときは、東海林太郎の魅力がよく解りませんでした。
それに対して、三橋美智也は、
父や叔父がよく歌っていましたから、
自然と耳に入り、いつしかわたしも歌うようになり、
三橋のCDは、いまもたまに聴くことがあります。
さて、
秋田魁新報に刑部芳則(おさかべ よしのり)さんが、
東海林太郎没後50年を期し、
「知られざる東海林太郎」のタイトルでコラムを書いており、楽しく読んでいますが、
その六回目にあたる文章(12月17日掲載)は、
東海林太郎と三橋美智也のつながりに関するものでした。
それによると、
三橋は、
現在テレビ東京になっている局の番組の中で、
「僕はもともと東海林太郎先生を崇拝してましてね。
東海林太郎先生の唱法に民謡を入れたんです」
と語っていたそう。
また朝日放送テレビでは、
「歌い方にしても、自分の民謡調に対して、基本的には東海林太郎先生の歌い方、
発声というものを勉強しましたね。
だから『おんな船頭唄』は似ているんじゃないかと思いますね。
直立不動で、きちっと歌うのが好きですね」
と。
コラムの著者である刑部さんをテレビで何度か見たことがありますが、
蝶ネクタイ姿をしており、
珍しいと思って見ていましたら、
刑部さんは、東海林太郎が大好きで、
憧れ、
東海林太郎の姿をまねて蝶ネクタイをしているのだと話していました。
なるほど。
ところで子供のころピンと来ませんでしたが、
だんだん齢を重ねてくるにつれ、
テレビで東海林太郎の姿を見、歌を聴くと、
歌う姿もそうですが、
ああいいなあと思います。
感動します。
「麦と兵隊」の二番の歌詞にある
「友を背にして道なき道を行けば戦野は夜の雨
「すまぬ すまぬ」を背中に聞けば「馬鹿を云うな」とまた進む」
を聴いていると、
ツーと涙が零れてくることも。
三橋美智也が東海林太郎をよぶときに「先生」を付けるのを、
母校の後輩として誇らしく思います。

 

・鍼灸院「おだいじに」の字なほ寒し  野衾