ハイデガーの〈退屈〉

 

ハイデガーは聴講生たちを大きな空無の中に突き落として、聴講生たちに実存の奥深くの
ざわめきを聴かそうとする。
もはやすべてのものが問題ではなくなる瞬間、それにしがみつき、
あるいは
それをもとに自分を感じることができる世界の内容が考慮に値しないものになる瞬間
を彼は開こうとする。
それは時間が空疎に過ぎて行く瞬間である。
時間には何の内容もなく、
ただそこに時間が純粋に居合わせる。
退屈とは、
時間が決して過ぎて行こうとしないがゆえに過ぎて行くのに気づく瞬間である。
そこでは人は時間を追いやることはできず、
何とか時間を潰すこともできず、
何らかの意味を加えることもできない。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.287)

 

こういう時間に突き落とされる恐怖はつねに付きまとっていて、
そこからそこを開いていくところに生きることの根本があるとも感じられ、
そうなると、
瞬間瞬間は、いわば悲しき闘争の場の様相を帯びてきます。
だれかにすがりたくなる
(たとえば親、友だち、先生、医者、牧師、僧侶、自分等々)
けれど、
だれにすがることもできないことを思い知らされ、
愕然とし、
時計ばかりを凝視することになります。
時間って何?
子供を救え!

 

・星の下聖夜の意味を知らずをり  野衾