岩本素白

 

素白が古典を味読する上にも、いかに鋭敏な感覚によっていたかがわかる。
それは自身の書く文章にも随所に感じられる。
たとえば――
荒物屋、煎餅屋、煙草屋、建具屋、そういう店に交って、
出窓に万年青おもとを置いたしもた屋の、古風な潜くぐりのある格子戸には、
「焼きつぎ」という古い看板を掛けた家がある。(「寺町」)
ただこれだけのことだが、
そう思って読むと、独特のリズムがあっておもしろい。
気ままに歩きながら、
その眼差しは土地の人びとにも念入りにそそがれる。
世の変遷をかこつ寺町の老人、
子守をしている婆さんや小おんな、
石欄に腰を掛けて春の光を楽しんでいる蓬髪垢面の怪しげな人物、
角の店先にほのぐらい行灯を置いていた店の主など、
いずれも時代にとり残されたような人物である。
日ごろ顔をのぞかせる知人も、
旧時代の風習をいまだ慎ましく守る、善良にして克明、篤実な人たちだった。
かつてはどの町にもひとりぐらいはいたと思われる、
やや頭のおかしな奇人も登場する。
彼らは笑われときにからかわれながら、
誰からも親しまれていた。
そんな愚人にそそがれる眼差しには、
人間というものを見つめた末に生れる温かみがこもっている。
細やかにして、
いくらか複雑な眼差しといわなければならない。
(鶴ヶ谷真一『月光に書を読む』平凡社、2008年、pp.93-94)

 

素白とは岩本素白。池内紀さんが編んだ素白の本がある。
池内さんは、
素白によって散歩のたのしさを知ったという。
それと、
静けさのしみとおった言葉づかい、静かな文章を。
引用した鶴ヶ谷真一さんの文章にも共通の息づかいが感じられる。

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・夏草や原子心母の胸騒ぎ  野衾