『武士道』の精神

 

吾人は聖徒、敬虔なるキリスト者、かつ深遠なる学者〔たるジョエット〕
の述べし次の言葉を牢記ろうきするを要する。
「人は世界を異教徒とキリスト教徒とに分ち、
しかして前者に幾何いくばくの善が隠されているか、
または後者に幾何の悪が混じているか
を考察しない。
彼らは自己の最善なる部分をば隣人の最悪なる部分と比較し、
キリスト教の理想をギリシヤもしくは東洋の腐敗と比較する。
彼らは公平を求めず、
かえって自己の宗教の美点として言われうるすべてのことと、
他の形式の宗教を貶けなすがために言われうるすべてのこととを集めて
もって満足している」。
(新渡戸稲造[著]矢内原忠雄[訳]『武士道』ワイド版岩波文庫、1991年、p.157)

 

食わずぎらいのようにして、これまで読んでこなかった新渡戸稲造の『武士道』を
こんかい初めて読んでみて、
いろいろと考えさせられ、おもしろく読み終えました。
引用した箇所にあるジョエットとは、
19世紀から20世紀にかけて活躍した、
イギリスを代表するプロテスタントの説教者。
「自己の最善なる部分をば隣人の最悪なる部分と比較し」
ているかぎり、
ふかい意味のある対話を実現する
ことは叶いません。
これが新渡戸の精神であったのかと納得しました。
世の中がどんなに変っても、
肝に銘じておきたい発言であります。
ちなみに、
2017年に亡くなった医師の日野原重明さんの父・日野原善輔さんは
キリスト教の牧師でしたが、
ジョエットの『日々の祈り』を愛読してやまず、
ご自身で翻訳もされています。

 

・一番手ごみ出しの日の青葉風  野衾