『狂気の歴史』

 

十八世紀以来、非理性的な生活は、
もはやヘルダーリンやネルヴァルやニーチェやアルトーらの、
閃光のような作品のなかにしか現われない。
――しかもそれらの作品は、
治癒するたぐいの精神錯乱につれ戻されることは永久にないし、
また、
例の大規模な道徳本位の投獄監禁――
人々が、おそらく反語的にであろうが
習慣上ピネルとテュークによる錯乱者の解放と呼んでいるあの投獄監禁に
自分に特有な力で抵抗している。
(ミシェル・フーコー[著]田村俶[訳]『〈新装版〉狂気の歴史』新潮社、
2020年、pp.619-20)

 

翻訳された日本語をとおしてではありますが、
それでも、
フーコーを読んでいるときの解放感は独特でありまして、
たとえて言うなら、
へ~、
俺ってこんなところに立っていたのか、
と、
高い高いタワーの展望台に上り、
厚いガラスでできた床の下を覗き見るような、そういうたぐいの興奮を覚えます。
本書巻末の索引によれば、
ピネルはフランスの著名な精神科医で、1792年ビセートルに勤務し、
当時狂人と見なされた人々に対して《解放》を行った。
テュークはイギリスの社会事業家。

 

・春なれば富士の高嶺のはるかなる  野衾