レンブラントの本

 

オランダ出身のカトリックの司祭でヘンリ・ナウエンという人がいる
ことを知ったのは、
会社近くにあるキリスト教書店でもらったPR誌
がきっかけでした。
どなたが書いた文章か、
すっかり忘れてしまいましたが、
その文章をきっかけにして、
ナウエンの書いたものを読んでいくなかで、
『放蕩息子の帰還─―父の家に立ち返る物語』に出合いました。
装画は、レンブラントの同タイトルのもの。
ナウエンは、
この絵がことのほか好きだったらしく、
わたしの記憶が間違いでなければ、
たしかこの絵の複製を自室に飾っていたのではなかったかと思います。
レンブラントへの興味が湧き、
サイモン・シャーマの『レンブラントの目』を読んでいたら、
こんな箇所があり、合点がいきました。

 

生涯を通してレンブラントの仕事は
強烈な文学愛、画像に劣らぬ文章への入れこみを特徴としている。
たしかにルーベンスとは対照的に、
雅びな人文学教養をこれ見よがしに見せつけたり、
ラテン語の詩をひねりだしたり、
手紙にウェルギリウスを薬味として引くといった芸は見せない。
一六五六年、
破産処理の裁判のために彼の財産目録がつくられたが、
立派な蔵書といった項目はなかった。
仮にそうだとしても、
同時代にレンブラント以上の本狂い、というかもっと正確に言えば聖書狂いの画家など、
いはすまい。
書物の重み、というか本の文字通りの重量、装丁、留金、資質、印字、
そして含まれた物語にここまであからさまに入れあげた画家は、
絶対にいない。
その本棚に本がないとしても、
その絵や版画のいずこにも本のない所がない。
(サイモン・シャーマ[著]/高山宏[訳]『レンブラントの目』
河出書房新社、2009年、p.213)

 

・毬栗の毬削ぎ落とす鎌の峰  野衾