えーと、
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
ということばがありました。
1950年代の初め、
まだテレビが普及する前のこと、
このナレーションで始まるラジオドラマがヒットしたそうです。
原作は菊田一夫さん。
タイトル「君の名は」。
忘却の「却」には、しりぞく、さがる、去る、ひく、などの意味があります。
なので、上のことばの前半は分かりやすい。
さて後半。
「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
忘れることができないのに、忘れ去ることを誓うこころの悲しさよ、
ということでありまして、
恋を経験すれば、
だれでも味わう境涯かもしれません。
さて。
このことばを思いだしたのは、
恋のこと、ではなくて、
ちかごろのわたしのもの忘れの激しさでありまして、
引用したことばになぞらえれば、
「忘却とは忘れ去ることなり。おぼえ得ずして記憶を誓う心の悲しさよ」
とでもなりましょうか。
多くは仕事。
プライベートのことは、忘れることがあっても、
それほど問題にはなりませんから、あまり気にしないことにしています。
しかし仕事となると、そうはいきません。
仕事上の忘却を回避するために、
ノートを作成し、
出勤したら、まずはノートを開いて見る。
退社するまえに、もう一度見る。
また、
編集を担当している書籍の原稿、ゲラなどは、
忘れないために、
大きな付箋に著者の名前とタイトルを黒々と書き入れ、
紙の束に、きれいに貼り付ける。
こまかいことをいえば、どの付箋もすぐ目に付くように、
位置を若干ずらせながら、階段状に貼る。
とかとか。
いろいろ工夫しているのですが、
いくら工夫しても、それでも忘れるときは忘れる。
かつて赤瀬川原平さんの『老人力』という本がありましたが、
他人事だと思って、
斜めにしか読んでいませんでしたけれど、
いやはや、
このごろのわたしの老人力は並大抵ではありません。
が、
たった一つ。
これはなかなか素晴らしいのじゃないか、
と思うことがあります。
それは怒りに関して。
若いときなら怒ったことをけっこう後々まで憶えていたのに、
このごろは、
怒ったことを早々に忘れる。
セネカさんの「怒りについて」を読むと、
怒りを回避することがいかに困難であるか、しかし、
怒りを回避することが生きる上でいかに肝要であるかを縷々説明してあり、
なるほどなるほど、と、面白く読みました。
なので尚いっそう、
工夫しなくても、
おのずと、怒りの忘却=回避につながっているじゃないか、
ほほ、これは、
たった一つの善きことかもしれない、
そう思って、嬉しくなりました。
・うららかや古書店前のセール本 野衾