齢九十二になる父の米づくりが始まりました。
数年前より、ことしが最後かな、来年は無理じゃないかな、と口にしていたところ、
近くに住む叔父の細やかなアシストによって、
なんとか米をつくってきました。
が、
いよいよ、ことしで終りにしようと、すっきり意気込んでいます。
さて、わたしのこのごろの関心は、
イネ科のイネ、
イネはどうしてイネと呼ぶの?
ということでありまして。
イネはもちろんイネ科ですが、麦もイネ科、葦もイネ科、
葦は『古事記』に宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)
の阿斯訶備(=葦の芽)として、
その名をとどめ、
また葦は、
「旧約聖書」に二十数か所も記載がありますから、
葦原の風景は、日本固有のものでなく、広く世界に分布している
もののようであります。
鈴木重雄さんの『幽顯哲学』を面白く読みましたが、
日本は動詞の国であるという記述があり、
目を開かされました。
そのヒントを得、
つらつら慮るに、
イネは「過ぎ去る、時が経過する」意の
イヌ(往ぬ、去ぬ)
ではないかとの想像が俄かにもたげてきました。
空、山、雪、土、種、苗、雨、稲、稲穂を見る父の隻眼を思い、
農民たちは、稲の成長によって時を知り、
また季(とき)を、秋(とき)の移ろいを意識し認識してきたのではなかったか、
と思います。
我が国は実に動詞(広義の)の国である。
今日吾々の日常使用してゐる名詞より漢語やその他の外国語を除いたならば
名詞の数は著しく少くなるであらう。
さうして
残った名詞も仔細に検すれば動詞を名詞として用ひて居るものが甚だ多い
ことを発見するであらう。
例へば光《ひかり》、明《あかり》、量《はかり》、霞《かすみ》、
曇《くもり》、晴《はれ》、黒《くろ》、白《しろ》など
本は動詞であつて動詞の動きを停めて名詞とした
ものである。
名詞が少く動詞の多いこと、
動詞の或活用形を採つて名詞として間に合はすことは
事物を流動的に観る意識慣性に基くのであつて世界観人生観の流動なると
その軌を一にするものである。
我が国には動詞は豊富であるが名詞に乏しい。
これは長所であるか短所であるかは別として我が国の特色である。
古来
この名詞の欠乏は多く外国よりの輸入で賄つて来た。
昔より今日に至るまで名詞は多量に輸入したけれども
動詞は輸入しない。
文章の材料の一部は輸入したけれども
文章そのものは輸入しない。
このことは古今に通じ凡ゆる文化に通じていひ得ることであつて、
外来文化に対する日本的態度の如何なるものであるかは、
この言語の領域に表はれてゐる様相からも推知し得る
のである。
(鈴木重雄『幽顯哲学』理想社出版部、1940年、pp.218-219)
・春寒し田仕事を待つ土の黙 野衾