『和漢三才図会』のただいま読んでいる巻をふくめ、
このあとも、
しばらく全国の神社仏閣について、くわしすぎるぐらいの記述がつづく
ことになっていて、
ふ~、
江戸時代における百科事典とよばれるのも宜なるかな、
でありますが、
ときどき、
その社にまつわる由緒、来歴などが記されており、
それが、日本昔ばなし的でもありまして、
眠けが一気に吹き飛ばされます。
犬頭《けんず》社 上和田森崎(岡崎市上和田町)にある。
社領四十三石
犬尾《けんび》社は下和田(岡崎市下和田町)にある。
天正年中(一五七三~九二)、
領主の宇津左(衛)門五郎忠茂が、あるとき山に猟に行った。
彼の家には白犬がいて彼に従って走りついてきていた。
一樹の下に来たとき、
忠茂は俄《にわ》かに眠けを催した。
犬は傍にいて彼の衣の裾《すそ》を咬《くわ》えて引いたので目が覚めたが、
また眠った。
犬が頻《しき》りに枕頭で吠《ほ》える。
忠茂は熟睡を妨げられて怒り、
腰の刀を抜くと犬の頸《くび》を切った。
頸は樹の梢に飛んで大蛇の頸にくいついた。
主はこれを見て驚き、蛇を切り裂いて家に還《かえ》った。
そして犬の忠情に感じて頭・尾を両和田村に埋めて祠を立てて祭った。
家康公はこれを聞いて大へん感嘆し、
かつ
この祠が往々霊験のあることによって采地《りょうち》を賜わった。
ちなみに宇津氏は、
大久保一族の先祖である。
(寺島良安[著]島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳[訳注]
『和漢三才図会 11』平凡社東洋文庫494、1988年、pp.57-58)
・春寒し駅へと急ぐ傘の列 野衾