つぎは、やきゅう。もっぱら田んぼでやったので、
田球かな。
わたしが初めて自分のグローブを手にしたのは、小学校の高学年だったと思います。
なので、それ以前、子どもたちで遊んだやきゅうは、
グローブもバットもない状態での遊びでした。
ボールは、野球のボールではなく、軟式テニス用のボール。
いま思えば、軟式テニス用のボールを、子どもたちがする野球のために、
店が用意してくれていたのかな?
ともかく、
ふにゅふにゅ柔らかいので、グローブでなく素手で受け取っても痛くありませんでした。
バットの代用は適当な棒。
たいへんなのが人数集め。
でも、正式の人数がそろわなくても、
一チーム五人だったり、三人だったり、それでもじゅうぶん楽しめた。
稲を刈ったあとの、
切り株の残る田んぼでやった野球ならぬ田球は、
けっして忘れることができません。
夕焼けの空には赤とんぼ。
あのときの喜びの質、飛翔するようなたのしさというのは、
なかなかことばで表現できないものがあります。
あそびをせんとやうまれけむ たはぶれせんとやむまれけん、
あそぶこどものこゑきけば わがみさへこそゆるがるれ
有名な『梁塵秘抄』の一節。
よく知られた歌で、
受験生だった遥か昔に習い覚えていまに至っているわけですけれど、
味わいということでいいますと、
来し方をふり返り、瞑目せざるを得ない心境になります。
直接お目にかかったことはありませんけれど、
伊勢神宮の近くに生を成した敬愛する小西甚一さんの『梁塵秘抄考』(1941年、三省堂)
に、
この歌に関してこんなことが書かれています。
「この歌は秘抄の中でもすぐれたものであるが、以下の数首が遊女に関する歌である
から、これも遊女の感慨であるかと思ふ。
平生罪業深い生活を送つてゐる遊女が、
みづからの沈淪に対しての身をゆるがす悔恨をうたつたものであらう。」
・半僧坊眼下はるかの桜かな 野衾