せんじつ、子どもの頃のふるさとの遊びについて書いたところ、
田んぼでやったやきゅうに関し、
秋田の弟から連絡がありました。
バットの代用を、わたしは棒と書きましたが、
弟の記憶では、
握りこぶしではなかったか、
とのこと。
そう言われれば、そんな気もしてきました。
ボールが軟式テニスの球なので、
握りこぶしで弾いても、痛くなかったはず。
しずかに思い出してみると、
たしかにバットの代わりの握りこぶしの感触がよみがえってきます。
ただ、バット代わりの棒、
も微かな記憶ですが捨てがたくありまして、
自前の田んぼやきゅうにふさわしい、
それらしい真っ直ぐな棒を探した時間とともに、ぼんやりよみがえります。
と。
こういうふうに、
ああだったかなあ、こうだったかなあ、どうだったかなあ、
いや待てよ、
あれこれ思い出そうとするこの時間がまた、
なんとも楽しく味わい深い。
事実とひょっとしたら食い違っている
かもしれない
けれど、
思い出の風景は、いわばこころの光景であって、
光が満ちています。
子どもは、光の子だなあ、と思います。
・鳴らせ音ズージヤで行こう春なんだぜ 野衾