ハイネとヘーゲル

 

ある晩遅くなってから彼は、ベルリンで勉強していた頃はよくそうしたように、
ヘーゲルを訪問した。
ハイネは、ヘーゲルがまだ仕事をしているのに気づいたので、
開いている窓に歩み寄り、
暖かく星の明るい夜の方を長いこと見つめていた。
……………
突然、
自分がどこにいるかまったく忘れていたハイネの肩の上に手が置かれ、
同時に次の言葉が聞こえてきた。
「星々ではなく、人間がそこに解釈するもの、それこそがまさに問題なのです!」
踵を返すと、ヘーゲルが彼の前に立っていた。
その瞬間から彼は、
ヘーゲルその人のうちに、
その学説が彼にとってひどく難解なものであるにせよ、
この世紀が鼓動しているのを知ったのである。
(編集/校閲 和泉雅人・前田富士雄・伊藤直樹
『ディルタイ全集 第5巻 詩学・美学論集 第1分冊』
法政大学出版局、2015年、p.90)

 

ヘーゲルの『精神現象学』を読むと、
いつの間にか、
眉間に皺が寄ってくるような気になりもしますが、
こういうエピソードを目にすると、
ことばの論理によって
世界に触れていこうとするヘーゲルの気概がほの見えるように思えます。

 

・泣き笑ひ一日一生亀の鳴く  野衾

 

秋田の方言と万葉集

 

万葉集を読んでいてハッとさせられるのは、
標準語では失われているのに、
子どもの頃から使ってきた方言と重なる言葉がいくつかでてくること。
万葉学者の故伊藤博さんは、
出身が信州地方とのことで、
『萬葉集釋注』のなかで
ときどき
小さいころの思い出を披歴しています。
いつくしむような記述に出会うと、
ほーと息が深くなる。
信州地方の言葉だけでなく、
秋田にも千年の時を超え残っている言葉があると確信できたので、
そのことについて秋田の新聞に書きました。
コチラです。

 

・つれづれを爪切り終へて春隣  野衾

 

『鰰』の書評

 

図書新聞に拙著『鰰 hadahada』の書評が掲載されました。
書いてくださったのは、
学習院大学フランス語圏文化学科教授の中条省平さん。
本の書き手としていつも感じるのは、
書評や読後感を伺うことで、
こちらが意識しなかった、
あるいは
意識できなかったこと、ところに、
ひかりをあててもらえること。
本を読むのも書くのも、
自我を破り
自我を脱け出たいとねがう心ですから、
ほんとうに有難い。
コチラです。

 

・凍て空を遠ざかりゆく烏かな  野衾

 

ヒルティと奥邃

 

宗教などはなにも知らないと言う人の方が、
こんにちでは、喋々と信仰を告白する多くの人よりも、
内的にはよりいっそう宗教に近づいているのは何故か……
(カール・ヒルティ著/齋藤榮治訳『ヒルティ著作集 第二巻 幸福論 Ⅱ』
白水社、1958年、p.229)

 

新井奥邃のことばと響き合うことばであると感じます。

 

・操車場くねる線路の寒さかな  野衾

 

誤読

 

そこで私のおちんこでいった成行きは、
ちょうど結婚を申しこまれた相手にあれこれと難くせをつけずにいられない娘
のようなものになった。
不幸なことに、
たった一人の秘密の恋人を心に抱いているばっかりに――。
(エッカーマン著/山下肇訳『ゲーテとの対話(上)』岩波文庫、1968年、p.38)

 

一瞬のことでしたけどね。
上のような文言が目に飛び込んできて、
ん!?
と訝り、
目を近づけ見たのでした。
なんてこった。そりゃそうだよな。
ただしくは「おちこんで」でありまして…。
これぞ老人力、
あるいは無意識力。
トホホ。

 

・ふるさとはひかり轟く雪解川  野衾

 

記憶と想像力

 

記憶にもとづかない想像力がないように、
すでに想像力の側面を含まない記憶も存在しないのである。
記憶を呼び戻すという行為は、
同時にメタモルフォーゼである。
(編集/校閲 和泉雅人・前田富士雄・伊藤直樹
『ディルタイ全集 第5巻 詩学・美学論集 第1分冊』
法政大学出版局、2015年、p.492)

 

記憶の変成作用は、
としを重ねるほどにおもしろく感じられます。
今道友信さんの本のなかで、
外国の知人から告げられたとして、
「神の人間への最高の贈り物が自由意志であるのに対し、
人間の人間への最高の贈り物はよき思い出である」
ということばが紹介されていました。
長田弘さんの詩集に『記憶のつくり方』
がありますが、
記憶となる種は過去のある時点で蒔かれたとしても、
育たないで枯れてしまうこともあるでしょう。
生きてはたらく記憶は、
まさに今のわたしを生かしてくれます。

 

・節くれの指より落つる箸の凍て  野衾

 

一徹の貌

 

神田高等女学校の四年間、岩波は実に骨身を惜しまず、愛を以て生徒を率いた。
地方から来て英語のできぬ生徒の為に、
朝始業前に英語を講じてやり、
又特別講義として論語や聖書などを講じ、
その為には放課後遅くまで残ってプリントなどを作り、
寒い朝も休まず、この課外講義をやり、
その上教師が休むと岩波が進んでその補欠講義をやり、
又或る時は講義に夢中になって、教壇からおっこちたという風で、
自ら
「僕はみんなに教える時間が一時間でも多く欲しいのだから」
といっていた。
(安倍能成『岩波茂雄伝 新装版』岩波書店、2012年、pp.92-93)

 

岩波書店を創始した岩波茂雄の顔は、
写真で見て知っていたが、
若き日から生涯にわたって友人であったという安倍能成が書いた伝記は、
ひとについて語ることのおもしろさ、むずかしさ、ありがたさ
について、あらためて考えさせられた。
かならずしも全面的に褒めてはいない記述から、
だからこそかもしれないが、
かえって岩波への深い愛情がしみじみ読むものに伝わってくる。
岩波茂雄が学校の先生をしていたこと、
岩波書店の始まりが古書店経営だったこと、
それも、値引きをしない正札販売だったことなど、
知らないことの何と多いことか。
それにしても、
山口青邨の句にあるあのこほろぎの一徹のようなる貌をして
女学生たちの前で教壇から転げた姿を想像すると、
なんとも愉快で楽しい。
岩波茂雄は、
彼をきらいだというひとは
もちろんいたかもしれないが、
実際に接すると好きにならずにいられない、
どうやらそんな人だったようだ。

 

・農家在り雪に煙の白きかな  野衾