アイエンガー教授

 

 朝ぼらけ富士の高嶺に銀の雪

先日テレビを点けたら、
インド人っぽい顔の美人が講義をしていました。
ちゃんと顔を上げて話しているのに、
眼を閉じているように見えるのはなぜか
不思議に思いましたが、
彼女は眼が見えないのでした。
高校生のときに網膜の病気で視力を失ったそうです。
現在はアメリカの名門、
コロンビア大学のビジネススクール教授。
人間の「選択」が彼女の研究テーマで、
たまたま見たテレビは、
NHKで五夜連続で放送する番組の二回目でした。
静かに堂々と話す姿が威厳に満ち、
また顔立ちからも知恵の人とよぶにふさわしく、
ついつい見入ってしまったのでした。
さっそくアマゾンで彼女の『選択の科学』を購入し、
教科書を側に置くようにして、
きのう三回目の番組をテレビで見ました。
「情報に基づく直感による選択」のすばらしさを語っていました。
ときどき見せる身振り手振りがチャーミングで、
ああ、
こんな人に教わってみたかったと思うことしきり。
あと二回。
日曜日が楽しみです。

 日ノ本の友と聴き入る村田かな

野性味

 

 美しき八景浮かぶ小雪かな

石橋にはときどき笑わせてもらいますが、
今度も大笑い、
元気をもらいました。
きのうの昼近く、
コーヒーカップをお茶飲み場に返しに行ったときのこと、
平たい皿に豆腐一丁、
十文字にギザギザに切られて載っていました。
「なんだこれ!!」
思わず声を発しました。
マサカリで切ったのか。
すると、
ひょいと横から「私の昼ごはん」
石橋が怪訝そうな目でわたしを見ています。
豆腐は体にいいから、
それを昼食にということは全く問題ありません。
が、
大皿に豆腐がデーン!
で、
十文字にギザギザと、
そのあり様、
存在の仕方、
ターザンかガリバーの食べ物でもあるか、
たとえばそんなような野性味を感じました。
ギザギザしたその感じがなんとも言えません。

 粉雪や道行く人ら仰ぎ見つ

飯田明彦さん

 

 忙しくしているうちに春は来ぬ

伊勢佐木町にあった古書店・伊勢佐木書林
の元店主・飯田明彦さんを
ゲストにお招きしてお話をうかがった
第4回Book学科ヨコハマ講座「よこはま 本への旅」が
ヨコハマ経済新聞に特集記事として掲載されました。
今回から会場を春風社に移して行いましたが、
記事を読んでいると、
あの日の時間とトークがよみがえってきます。
あと、
飯田さんはほんとうに本が好きなのだということを
改めて感じます。
本が縁となって人と人とがつながる、
飯田さんとわたしもそういう関係で現在に至っています。
ところで、
わたしは、いつも不思議に思っていました。
飯田さんに家まで来てもらい本を売ったとき、
本を紐で結わえるのですが、
絶対にきつく縛らない。
そんなふうだと、
運ぶとき紐が外れるのではと思うのですが、
外れない。
それは、本を傷めないための工夫なのでした。
トークの最後のほうで飯田さんは、
「こういう出会いがあるから、古本屋をやめられないのでしょうね」
とおっしゃいました。
なるほどと合点がいきました。

 山想ふ一雨ごとの温かさ

バレンタインデー

 

 梅を待ち鏡花読む日のありがたき

会社の女性陣からいただきまして、
コーヒー片手にパクついていたら、
あっという間に半分なくなっていました。
チョコレートがもともと好きなので、
つい勢いづいてしまいます。
体のことを考え、
チョコレートは一日二個までと、
根拠もなく思っているのですが、
そんなわけにはいかない日もあります。
バレンタインデーは絶対に無理。

写真は、なるちゃん提供。
おもしろい形。
味噌汁にしていただいたそうです。

 幾度目の鎌倉春を歩きたり

はたさいめい画!?

 

 ホッカイロ小ぶりのものに換えてみた

『いやいやえん』『ぐりとぐら』などで有名な
中川李枝子さんのエッセイ集を読んでいたら、
中川さんは子どものころ、
泰西名画というのを、
はたさいめい、という人が描いた絵だと思っていた
という記述があり、
あ、中川さんていい人だ(笑)と思いました。
中川さんはまた、
鳥獣戯画を、
とりじゅうぎ、という人の描いた絵だと思っていたそうです。
なんていい人なんでしょう。
たしかに、
ルノアール画、セザンヌ画、ゴッホ画、
というふうに書きますから。
こういうことって、
だれにでもあるんですね。
安心しました。
ところで下の写真は、
きのう、
下を向いて歩いていたら、
道の模様が熊の顔に見え、
面白いと思って撮ったものです。

 チョコの日は賑はひ横目で見てゐたり

鎌倉散歩

 

 切り通し梅は未だかと歩きたり

JR横須賀線の電車を北鎌倉駅で降り
晴天の下、歩いて「北鎌倉古民家ミュージアム」へ。
雛飾りの展示を見ました。
古いものは、鎌倉時代のものも。
ゆっくり見て歩くうちに、
いくつかの人形のまえで立ち止まりました。
周りの空気がそこだけちがって、
時間の音が聞こえてくるようです。
窓から日の光が斜めに差し込んでいました。
次の目的地は、鏑木清方記念館。
切り通しを通って鶴岡八幡宮へ向かう道を家人が逸れたので、
「おいおい、そっちはちがうだろ」と言えば、
「方向が合っているから散歩がてら」と答えたので、
後ろからとぼとぼ随いていくと、
ひょいと目の前に記念館。
家人「ほらね」
鏑木清方の水色を堪能。
岩波書店の『鏡花全集』も展示されていましたが、
昭和四十年代に再刊されたもので、
初版では和紙にくるまれていた函がそうでなくなり、
本の背文字の箔押しが印刷に変わっていました。
手に取り触れてみると味わいがちがいます。
記念館を出て小町通りへ。
左右をキョロキョロしながら、古書・美術の木犀堂へ。
家人は『追想中川一政』を購入。
わたしは迷いつつも購入せず。
鎌倉駅へ向かううちに、
家人をその場に残して回れ右。
木犀堂へ取って返す。
「気になる本がございましたか?」
「はい」
鏑木清方の随筆集『こしかたの記』『續こしかたの記』、
それから昭和5年に出版された中川一政の
『美術の眺め』を購入。
店主の平井さんと本の話をひとしきり。
鞄に入っていた「春風目録新聞」を差し上げると、
「あ。佐々木幹郎さんですね」
「はい」と、しばし佐々木さんの話に。
途中で戻ってよかったと思いながら、
お代を払って、もと来た道へ。
家人、道の脇でたこ焼きを頬張っていました。

 雛人形昔の稚児の宴かな

永久に責任

 

 昼からの鰭酒ちびりちびりかな

下の写真をご覧ください。
表紙が見えるように立てかけてあるのは、
岩波書店発行『鏡花全集』の二巻目、初版本です。
「日本の古本屋」で求めたもので、
装丁は鏑木清方。
きれいでほれぼれします。
この巻は、昭和十七年に発行されていますから、
ちょうど七十年前の本。
七十年経っても輝きを失っていません。
前年から太平洋戦争に突入したこの時期に
これが出たということも驚きですが、
奥付に記された小さい文字にさらに驚きました。
下段の写真がそれです。
低処高思が信条の岩波茂雄の
面目躍如といったところでしょうか。
ふむ~。
ウチも奥付に書こうかな。

 鰭酒の鰭の厚みを褒め称ふ