図書館を利用しつくす

 

 春なればこゑをたてずに部屋の虹

今日はツブヤ大学Book学科「よこはま 本への旅」の日。
場所は春風社。
夜の八時から一時間ほどを予定しています。
六回目になる今日は、
神奈川県立図書館の林秀明(はやし・ひであき)館長をお迎えし、
「図書館はこんなに面白い!」をテーマに
お話をうかがいます。
先日撮影させていただいた
図書館の外と内、
また貴重な資料をスクリーン上に映しながら、
そのユニークさに迫りたいと思います。
くわしくは、
こちらをご覧ください。
直接起こし下さっても結構です。
おっと、
忘れるところでした。
本日は特別に、
林館長のお計らいで、
江戸時代につくられた『解体新書』『東海道中膝栗毛』などの
和本もお持ちいただきます。
お手にとってご覧いただけますよ。
乞うご期待!

 ひと眠る夜を清しく沈丁花  野衾

若さ

 

 角曲がる野毛の路地裏沈丁花

靴の中敷きを買いにABCマートへ。
階段を下りてレジへ直行。
むかし弁慶縞、格子縞、チェックなどといった、
今はなんというか知らないけれど、
とにかく縦横格子の縞のシャツを着た兄さんに、
「あのー。靴の中敷きがほしいんですけど…」
兄さん、夜の七時を過ぎているのに、
一日仕事をして疲れてもいるだろうに、
眼がキラキラしている。
「何センチですか?」
「え? あ。25センチです」
「25センチですね。少々お待ちください」
お兄さんは、レジカウンターから出てきて、
小走りして上の階へ向かう様子。
しばらくして戻ってくると、
少し息を切らしている。
「お待たせしました。こちらが革のもの。
こちらがフツーのタイプ」
「フツーのタイプのください。
でも、これ、26センチって書いてありますよ」
「あ。すみません。少々お待ちください」
お兄さん、また、タタタタッと駆け足で。
やがて戻ってくると、
「すみませんでした。はい。こちら25センチのものです」
「ありがとう。これ、ください」
というような、
なんでもないことなのですが、
チェックのシャツの兄さんの、
まったく朝のような眼の輝きに若さを感じ、
ちょっと羨ましくもなりました。

 夢なれど親しき人のこゑを聴く  野衾

『斎藤喜博研究の現在』

 

 花と竜おいらの朝は花に水

不世出の天才教育者・斎藤喜博(さいとう・きはく)。
斎藤喜博が指導すれば、合唱する子どもたちの声がみるみる変り、
跳び箱は、全員跳べるようになった。
斎藤が校長をしていた群馬県島小学校
(現・群馬県伊勢崎市立境島小学校)には、
全国どこにでもある「フツーの」公立小学校だった。
にもかかわらず、
1952年から1962年までの11年間で、
全国から延べ1万人の参観者が訪れた。
斎藤校長を中心とする島小の先生たちの教育の営みは、
未来を創りだすものとして多くの人を惹きつけ、
当時島小を訪問したもののなかに、
後にノーベル文学賞を受賞する若き日の大江健三郎もいた。
大江は、
「ぼくはこの小さな小学校の奇蹟にみちた教室に、
二日間しかかよわなかったけれども、
そこにいる小学生たちの本当の新しさには、
ほとんど圧倒される思いだった」
(「未来につながる教室――群馬県島小学校」)
と絶賛を惜しまない。
斎藤の教育実践に惹かれ、学び、
つねに新しく未来をつくり出そうとする研究者たちが、
斎藤の教育を次代へ引き継ぐべく研究会を重ね論考を執筆した。
それが『斎藤喜博研究の現在』である。
千年単位の震災と原発事故による万年単位の人災により、
建設的な未来図を描けなくなっている現在、
未来への希望としての子どもに接し、
未来をひらくことをひたすら願い
日々教育実践を行った稀有の教育者・斎藤喜博の研究は、
今こそ必要必須であると確信する。
本は、今日出来てくる。

 その下で恋でもしたき花万朶  野衾

書く行為

 

 四月待つこころはあれど仕事あり

『サミュエル・ジョンソン伝』をしこしこ読んでいますが、
書くことの罪と恐ろしさを深く教えられます。
たのしさもまた。
サミュエル・ジョンソンは一七〇九年生まれ。
イギリス人。
彼の伝記を書いたのは、ジェイムズ・ボズウェル。
こちらは一七四〇年の生まれ。
イギリス人。
ジョンソンが亡くなるまでの
二十一年間の付き合いの詳細な記録をもとにし、
さらに、
ジョンソンの人となりを伝える資料を付加して書かれたのが
『サミュエル・ジョンソン伝』。
サミュエル・ジョンソンが大文豪と称されるのに対し、
ボズウェルはといえば、
さしずめ文豪ミニ。
どころか、
ジョンソンの伝記を書いたことによって、
そのことによってのみ歴史に名を残した
みたいな、
ちょっと酷ないわれ方をしてきたようです。
それがようやく切り離され、
ジョンソンはジョンソンとしての、
ボズウェルはボズウェルとしての価値が
取り沙汰されるようになったのは、
二十世紀に入ってからなのだとか。
ボズウェルの家族、遺族が大変な思いをしてきたことを、
訳者の中野好之さんが三巻の解題に書かれています。
そこに次のような言葉があり、
ハッとしました。
「今この解題を書いている訳者自身の私事にわたることへの
読者の寛恕が与えられるならば、
私自身この種のボズウェルの遺族の気持が
さながら自分のことのように実感できるだけの個人的体験を、
二十世紀のこの極東の文化的な後進国で、
長年にわたり体験したことを一言あえて言い添えておく。」
好之さんは英文学者・中野好夫のご長男であり、
中野は『蘆花徳冨健次郎』で、
一九七四年に第一回大佛次郎賞を受賞しています。
中野は他にもいろいろ書いていますから、
これだけで特定はできませんが、
徳冨蘆花の文字通りの赤裸々な日記の刊行にも
中野は関わっていますから、
息子である好之さんの苦労が偲ばれます。
この場合は伝記ですが、
伝記ならずとも、
ものを書くということは、
並大抵のことではないと思い知らされます。

 目覚めては師の影消えず春の宵  野衾

前日復習

 

 休日は冷蔵庫を浚ひをり

朝起きて歯を磨いたら、この日記を書きます。
前日のことを思い出し、
こんなことがあったなという調子で書き出すのですが、
休日は文字どおり休日で、
休んでいますから、
翌朝、
つまり今日みたいな日は、
前の日とくにしたこともなく、
したがって書くべきこともとりたててなく、
パソコン画面をじっと見、
時の過ぎ行くのを眺める具合。
読んだ本について書こうかな、
とも思うのですが、
重すぎて書き出す元気がない。
ふむ。
そうすると、
時間ばかりが過ぎていきます。
そんなときです。
やっべー!!
風呂にお湯を張っているのを忘れていたっ、
てなるのは。
朝起きて歯を磨く前に、
前日落としておいた風呂に
水道の蛇口を捻りお湯を入れることもあるのです。

 灸をすへ垣根越しの梅を見る  野衾

ゆっくりゆっくり

 

 風立ちて沈丁花のかほりせり

きのうからまた十回コースの横浜気功教室が始まりました。
六年もやっていますから、
合わせると百五十回はやっていることになります。
動きをすっかり覚えてしまい、
そうすると、
自転車に乗れなかった人が、
自由に乗れるようになったのにも似、
集中せずとも
いつしか鼻歌交じりで(実際は歌わないけど)
ゆらゆらと動く具合。
朱剛先生、
その落とし穴をちゃんとご覧になっていて、
だれと名指しではおっしゃらないが、
ご指摘くださいました。
げに集中というのは難しい。
そこで一計を案じ、
ゆっくりゆっくり体を動かすようにしています。
これだと、
ゆっくりの動きに意識が幾分引っ張られ、
他の刺激をあまり受けずに済みそうです。
この工夫が気功本来のあり方から見て、
理にかなっているかどうかは分かりません。
邪道であれば、
また先生が指摘してくださるでしょう。

 沈丁花白に引かれて二歩三歩  野衾

やっかい気分

 

 コート脱ぎ巷の夜を闊歩せり

いい季節になりました。
天気もいい。
体も今のところ気がかりなところなし。
仕事も割りと順調。
桜木町の駅で電車を降り、
読みかけの文庫本を
右ページの最初の段落の区切れまで読み、
しおりを挟んで階段に向かいます。
ホームにはわたし一人、
順調に歩をすすめます。
馬鹿にするようなカラスの声もあまり気になりません。
なんとなく、うきうきします。
そのときでした。
ん?
ん、ん?
橋本さんから預かっているあの日記、
大切な日記、
洋間の戸棚の箱に戻したよな?
戻した。
戻した。
戻した?
いや、戻した。
間違いない。
戻してなかったらどうしよう。
どうしてそのことが今、頭に浮かんだのだろう。
階段を降り切るときには、
すっかり気分が変わっています。

 山笑ふ居酒屋の灯も笑ひけり  野衾

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