こんな日も

 

 午後三時冬居て布団恋しかり

昨日、「忙しい一日になりそうです」と
この欄に書きましたが、
忙しいよりも、楽しい日になりました。
午前中お目にかかった盆栽の先生は、
高校生のときに盆栽展を見に行ったのが
そもそものきっかけだったらしく、
その時どんな風に感じましたかと問うと、
盆栽というのは憑代(よりしろ)であると。
松はまた、神様を待つから松でありますと。
午後からは新座にある十文字学園へ。
宮城教育大学の学長だった横須賀薫先生は、
今は十文字学園で学長代理をされておられますが、
ほかの先生方のいらっしゃる前で、
「三浦さんとはくされ縁でね」とおっしゃいました。
どんな言葉より、ありがたいなあと思いました。
とんぼ返りで夕刻、保土ヶ谷で待ち合わせし、
小料理千成へ。
サントリーを辞し、
今は大学で教鞭をとられている金田先生、
秋田の後輩で日本生命に勤めている遠藤さんとのお話は、
いつも楽しく、
久しぶりに少し飲みすぎてしまいました。
初めてお目にかかったときにご馳走になり、
秋田のいぶりがっこに風味が似ていると感じて
忘れられなくなったサントリーのスコッチウイスキー
「ラフロイグ」に話が及んだとき、
先生、鞄からサッとラフロイグを出され、
おみやげに下さったのには驚きました。
なんというお心くばり。まるでマジック!
遠藤さんが、自分の人生で、
金田先生に出会えたことが宝ですと
おっしゃることの一端を垣間見た瞬間でした。

 コップ酒春待つ親父何してる

100214_1956~0001

朝一番にすることは

 

 菊水を舌嘗めずりの余寒かな

昨日、風呂から上がり、仏さまに水をあげ、
さてそろそろ会社へ行こうかと思っていたら、
電話が鳴りました。
父方の叔母からでした。
電話してくるのは珍しく、いろいろ話してくれた中に、
亡くなった祖父は、朝、眼を覚ますと、
その日一日の段取りを布団のなかで考えてから
起き出したというエピソードがありました。
それにならい、叔母もそうしているそうです。
几帳面なところのある祖父でしたから、さもありなん!
晩年、血圧の薬やらなにやら、いろいろ飲んでいましたが、
飲む順番があって、
宗教儀式のようにそれを正確に守っていました。
順番を乱すと、健康が害われでもするかのように。
さて、わたしの今日の予定は、
午前中、京都から盆栽の美人先生が来社、
午後から埼玉にある十文字学園訪問、
とんぼ返りで夕刻、保土ヶ谷駅で秋田の後輩、
元サントリー人事部部長さんと飲み会。
忙しい一日になりそうです。

 菊水の一番しぼり春よ来い

100214_1932~0001

人間理解

 

 本二冊読んで顔上ぐ余寒かな

犬が飛びついたって、馬が鼻をこすってきたって
「嫌よ、嫌よ」なんて気取らないでしょう。
正直に「可愛いワ」という。
ところが人間同士になるとそれを素直に表現しない。
ひどいのになると、自分のやりたかったことでも、
他の人がサッサとやっているのを見ると、
もう自分のやり度いという考えをサッと捨てて
「いやらしい」とか、
「あんなことやってどうするつもりなのかしら」とか
「まア厚かましい」とか、
そういうことやっているのが間違っている
というような表現をすることは珍しいことではない。
その逆に、そういうことをやっている相手が
自分の好きな人だと、
自分のやりたくないと思っていたことでも
ツイ良く見てしまったり、
又同じことを自分迄がやってしまうことさえあるのです。

以上は、整体の提唱者・野口晴哉の
『人間の探求』のなかの一節です。
野口さんはまた、この本の「序」に、
「世の中はいろいろ変ったが、
ここで説いていることは、これからも変らぬことと思う。」
と記しています。昭和四十九年二月とありますから、
三十六年前のことです。

 長靴を取り出し名残の雪となり

100214_1837~0001

耳鳴りほどの

 

 文庫本かじかむ指を滑り落つ

きのうは「建国記念の日」で休日でしたが、
仕掛かりの『明治大正露文化受容史』の
最終打ち合わせのために、著者と会社で打ち合わせ。
わたしは、他の仕事もありましたし、
せっかくですから、
約束の時刻より一時間前に出社しました。
すると、なぜか、
忌野清志郎さんの「パパの歌」を思い出しました。
「昼間のパパはちょっとちがう」。
作詞は糸井重里さん。そのメロディーで、
「休みの会社はちょっとちがう」。
なぜならば、だれもいないし、音楽がなく、
電話が鳴らず、超静かで、耳を澄ますと、
耳鳴りが聞こえてきそうなぐらいだからです。
二時間かけて来てくださった著者との確認は、
二十分ほどで終り。
また二時間かけて帰られることを思うと、
申し訳なかったのですが、
お越しいただき話ができたことで、
安心して下版できます。

 きんきんと耳鳴りほどの余寒かな

100210_0622~0001

不具合

 

 レジ袋かじかむ指を濡らしけり

印刷用語で、本の紙に文字が印刷されるスペースのことを、
版面と書いて、はんめん、はんづら、と言います。
今わたしが編集している本の最終校正が終り、
編集長ナイ2君に見せたところ、
さっそくチェックが入りました。
ナイ2君いわく、
章末の注のいくつかが版面に収まっていないのではないか。
パソコン上で確かめたところ、
ナイ2君の言うとおりでした。
ナイ2君始め、若い編集者が
あれこれ試してみたのですが、
直る気配がありません。
考えられることは、この本の編集途中で
ソフトを新たに換えたことにありそうです。
バージョンアップしたとはいうものの、
もともと同じソフトですから、
問題なさそうなものですが、
事はそう単純ではないんですね。
機械は難しい。
結局、章ごとに注の一行一行をチェックし、
文字が版面に収まるように、手作業で直しました。

 鬱勃と湯気立ちコーヒーバルザック

081116_0944~0001

ハビコル!?

 

 冬の日の喉にからみしナポリタン

きのう、面白い電話があった。
たどたどしい日本語の外国人ですと、
最初に電話に出たものから告げられ、
わたしが換わった。
「はい。気功の本の担当者の三浦と申します」
「ソウデスカ。ワタ~シハ○×△□デス。ヨロ~シク」
「今どこから電話されてますか?」
「オハイオデ~ス。オハイオ、シッテマ~スカ?
ニホ~ンゴノ、オハヨウニニテイル、オハイオデ~スネ」
「ああ。オハイオ州ですね。分かりました。
ところで、気功の本を出したいそうですが、
原稿はありますか?」
「ハイ」
「日本語の原稿ですか?」
「エイゴノゲンコウデ~スネ」
「英語の原稿を日本で出したいのですか?」
「イイエ、チガイマ~スネ。
アナ~タノ、カイ~シャガ、キョウミガア~レバ、
ニホ~ンゴニ、ホンヤクシヨウト、オモッテイマ~スネ」
「どうして翻訳してまで日本で出したいのですか?」
「ナンデスカ?」
「英語の原稿があるのに、英語の本にしないで、
日本語に翻訳して、日本語の本にして
日本で出版したいのはなぜですか?」
「アア。ソウイウコ~トネ。アメ~リカデハ、
キコウヲ、アマリシリマセ~ンガ、ニホ~ンデハ、
キコウガ、ハビコッテイマ~スネ」
「蔓延っている?」
「ハイ。ハビコッテイマ~スネ。ダカラ、ニホ~ンデ、ダシタ~イ。
ワタ~シハ、ニジュウネン、キコウヲヤッテイマ~ス。
コウツウジコデ、メク~ラニナリマ~シタガ、
キコウデ、ナオシマ~シタ。
ソノタイケンダンモ、ハイッテマ~ス」
………………………………………………
主旨はよく分かったが、出版は難しいと判断し、
その旨を伝えると、最後に、彼は次のように言った。
それは、とても気持ちのいいものだった。
「アナタ、ショウジキニ、イイマ~シタネ。
ダカラ、カンシャシマ~ス。アリガトゴザイマ~シタ」

 凩もしばし獺祭りかな

091210_1230~0001

書棚

 

 ひかり差す百人一首の冬の宵

三年前に二千冊の本を売って、
部屋の中がだいぶすっきりしましたが、
それでも、大きな書棚がまだ二本あります。
そのうちの一本は奥行きがあり、奥に一列、
手前に一列というように本を並べていますから、
わたしにしてみれば、けっこうな数で、
たった二本の書棚ですが、
すべての本を記憶しているわけではありません。
読んだ本と、
まだ読んでいない本が半々ぐらいですかね。
憶えていないので、
思い出したように、ときどき書棚の前に立っては、
順番に背文字を眺めていきます。
上の段から順々にゆっくり眺め、下まで来たら、
また上の段に戻って、やり直します。
自分の書棚なのに、
いろいろなことに気づかされます。
今は、バルザックとウィリアム・ブレイクに
興味が移っているな…。
そうすると、二人に関連する書目が図となり、
他の本たちが背景に退きます。
ふだん気づかぬ無意識の所在を知るために、
ときどき書棚を眺めているようなのです。

 苺大福コーヒー豆の春近し

091206_2020~0001