夜半(よわ)過ぎて獣のなごり猫の恋
男鹿に嫁いだおばさんから電話があった。ヤクルトにまつわる祖父の話でひとしきり盛り上がった後、おばさんは寒雀のエピソードを話してくれた。
今は法律で禁止されたのだろうが、わたしが子供の頃は、空気銃で雀をよく捕った。もちろん、子供のわたしが扱えるわけはない。父の弟が二人いて、二人ともよく空気銃を操った。わたしや弟は、猟犬のように、おじさんの後をくっついて歩き、撃ち捕った雀を拾った。
おばさんが教えてくれたエピソードとは、捕った雀の毛をむしり、砂糖醤油で焼いて食べさせてくれるのは祖父の役目だったが、いちばん美味しい胸肉は、孫のわたしや弟の口に入り、おばさんや、おばさんのすぐ下の敏子おばさんには、気持ちの悪い脳みそが入った頭や首や尻などが廻ってきた。孫にはかなわない…。
この季節になると、思い出すそうだ。
撃ち捕りて食いも食ったり寒雀
あのねママ木はお母さんつくしの子
会社の帰り、電車が保土ヶ谷駅に到着し、ワッと人が降りて階段に向う。これが嫌だ。じょうごに米粒が吸いこまれていくような具合で息苦しい。なるべく、大勢の人をやり過ごし、少しまばらになってから歩き出すようにしている。
階段に足をかけると、上から生きのよい女子高生だろうか、ふたり、タッタッタッとステップも軽く下りてきた。前の娘は後ろを振り向かずに後ろの娘に話しかけながら。前の娘に足並みを合わせるように下りてくる後ろの娘が、そうそうそうそうそう、と言った。とてもリズミカルで、ちょっと音楽みたいで、わたしは思わず、階段の途中で足を止め、指を数えていた。そうそうそうそうそう。5回か。3回ぐらいかと思ったのだが、5回も繰り返していたのか。そうか、5回もか。
先生怒ると道ができるよ春の午後
春はそこ豆腐は白い味だよね
同郷の幼なじみのSさんからメールをいただいた。
Sさんもヤクルトおじさんからヤクルトを取っていたらしく、わたしと同年でもあるし、思い出深かったのだろう。
今のようなプラスチック製の容器ではなく、ガラス製の容器に入っていたヤクルトは、冬ともなると、シャーベット状を呈し、箸やスプーンで掻き出さないと食べられなかった。もともとは飲料なのに、飲む、でなく、食べる。それはそれで、なんだかいつも飲んでいるヤクルトとは違った食べ物の感じがして新鮮、かつ美味しかった。
Sさんのささやかな望みは、小さな瓶に入っているヤクルトを3本ぐらい、大きなコップに移してグビグビと思いっきり飲むことだった。言われてみれば、たしかにあの量、ん、んめーなー、と思ったその瞬間に失くなっている。まるで初恋の味…。てへ(死語か)。
今日は会社にヤクルトねーさんの来る日。
りなの絵がお出かけしちゃった春休み
交差点スノーと言へり眼鏡美人
小社が入っているビルに、ヤクルトの製品を販売するおねえさんがやって来る。フロアごとに曜日が決まっているらしく、春風社は月、木。
いちばん奥の窓際の席から、デカイ声で「おはようございます」と挨拶はしても、ヤクルトもジョアも買ったことがなかった。ところが、ふと思い立って、このごろは、おねえさんが来ると必ずヤクルトを2個、買うようにしている。
子どもの頃、ヤクルトおじさんがいた。祖父の友達で、店をやりながら、毎日ヤクルトを配達していた。祖父がどうしてヤクルトを飲むようになったか定かではないが、もう若くはない友達がはじめた新しい商売に、そんな高価なものではないし、ひとつ協力してやろうと思ったのではなかったか。
祖父は、自分で飲む以外にも、わたしや弟にも買って飲ませてくれた。小さなビンに入っているヤクルトを、祖父は口をすぼめて大事そうに飲んだ。わたしも弟も祖父の真似をして、口をすぼめた。
あるとき、祖父は父に、ひどくたしなめられたことがあった。今さらそんなものを見てどうする…。ヤクルトおじさんに誘われ、映画を観に行こうというような話だったと思う。どうもそれが真っ当な映画ではなさそうなのだった。
父に意見されて、祖父は、結局その映画を観に行かなかったと思う…。
ヤクルトの味は、皺の寄った祖父の唇であり、春先の乾いた土の香りであり、ヤクルトおじさんの古びた自転車の錆びの色であり、わたしと弟の、失われてしまった秘密の時間でもある。
春の陽を浴びて寒梅ほころびぬ
泥の雪溶けて乾いて埃立ち
詩人・俳人の加藤郁乎さんからお手紙をいただいた。お願いしてあった目録新聞用の俳句五句を早々に送ってくださったのだ。
原稿用紙に堂々たる筆文字で記されている。その一句に、きなきなということばがあった。初めて見ることばだ。
流麗な文字を読み違えているのだろうか。さっそく大辞林をひらいてみる。
きなきな。(副)思い悩むさま。
へ〜。そうか。きなきな。きなきな。きなきな。
声に出して言ってみると、悩むこころと体の状態を表して過不足ないような気になってくるから不思議だ。
ふきのとうまだかと登る丘険し
ラーメンの香を嗅ぎ梅やほころびぬ
小社の目録「学問人」とPR誌「春風倶楽部」を合体した「春風目録新聞」第2号のテーマは、「今って、どんな時代!?」
それを踏まえて、今回「今を生きる詩・短歌・俳句」のコーナーを設けることにし、著名な方々にお願いしたところ、続々と返事をいただいている。
昨日は、谷川俊太郎さんと吉行和子さんからお葉書をいただいた。今を生きるどんな詩、どんな俳句を作ってくださるのだろう。人は飯がないと生きられないけれど、ことばもないと生きられない。
どん底の生活を強いられていた人が加藤楸邨の句と出合い、もう一度頑張ってみようと意を決し、生活を立て直し、今ではテレビコマーシャルでよく見る企業を作った人もいる。
こころにひびくことばに出合うことは、替えがたい喜びと元気と勇気を得ることだ。
気功で知り合った若いお母さんは、6歳になる娘さんの「豆腐は白い味がするね」のことばに、思わずほくそえんだという。
詩人と子どもは、人にとってことばがどういうものかを端的におしえてくれる。
だれとても子どもの核あり雪しんしん
大鍋の湯気や曇りガラスとし
久々の。
『新井奥邃著作集』の監修者である山形の工藤先生から伝授された、いわゆる工藤ラーメンを年1回ないし2回作っては、社員および関係の皆様にふるまってきたが、3年前に鎖骨を骨折してからは、なんとなく気も萎え、作る気がしなかった。
ここに来て作る気になったのは、やはり元気になったことの証であろうと喜んでいる。
また、来月は刊行点数が10点に及ぶ。例年、3月はどうしても増えるが、10点というのは過去最高だろう。一致団結し、この峠を気負わず、騒がず、無事に越えたい祈りを込めて、仕込みに励んだ。
おかげさまで、わたしもわたしもとお替りの声がかかり、うれしい悲鳴をあげながら厨房に立った。米沢から取り寄せた35玉の麺すべて完食!!
お越しくださった皆様からいただいたおみやげや手料理も素晴らしく、「出版社は港町」の感を改めて確認した。
支那そばのつゆ飲み干して吐息かな