ヤクルトおじさん

 交差点スノーと言へり眼鏡美人
 小社が入っているビルに、ヤクルトの製品を販売するおねえさんがやって来る。フロアごとに曜日が決まっているらしく、春風社は月、木。
 いちばん奥の窓際の席から、デカイ声で「おはようございます」と挨拶はしても、ヤクルトもジョアも買ったことがなかった。ところが、ふと思い立って、このごろは、おねえさんが来ると必ずヤクルトを2個、買うようにしている。
 子どもの頃、ヤクルトおじさんがいた。祖父の友達で、店をやりながら、毎日ヤクルトを配達していた。祖父がどうしてヤクルトを飲むようになったか定かではないが、もう若くはない友達がはじめた新しい商売に、そんな高価なものではないし、ひとつ協力してやろうと思ったのではなかったか。
 祖父は、自分で飲む以外にも、わたしや弟にも買って飲ませてくれた。小さなビンに入っているヤクルトを、祖父は口をすぼめて大事そうに飲んだ。わたしも弟も祖父の真似をして、口をすぼめた。
 あるとき、祖父は父に、ひどくたしなめられたことがあった。今さらそんなものを見てどうする…。ヤクルトおじさんに誘われ、映画を観に行こうというような話だったと思う。どうもそれが真っ当な映画ではなさそうなのだった。
 父に意見されて、祖父は、結局その映画を観に行かなかったと思う…。
 ヤクルトの味は、皺の寄った祖父の唇であり、春先の乾いた土の香りであり、ヤクルトおじさんの古びた自転車の錆びの色であり、わたしと弟の、失われてしまった秘密の時間でもある。
 春の陽を浴びて寒梅ほころびぬ

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