映画の日

 

・朝寒や無音の中に微言在り

インド映画『きっと、うまくいく』が
横浜市中区若葉町の映画館ジャック&ベティで
二日間だけ
アンコール上映されることになり、
ひかりちゃん、りなちゃん、
二人のママといっしょに観てきました。
ママ二度目。
わたし五度目。
ひかりちゃんとりなちゃんは初めて。
映画はふつう
静かに観るものですが、
この日は、
なんとマサラ上映。
マサラ上映というのは、
踊るのも騒ぐのも
飲み食いするのもOKの鑑賞スタイル。
館の入口にはたくさんのクラッカーが置かれていました。
アンコール上映ということもあり、
映画のストーリーを
分かっている人がおそらく多くいて、
盛り上がる場面では正しく(!?)
クラッカーがパンパンと高らかに鳴らされ、
拍手喝采が加わり、
それはそれは楽しい映画の日でした。
映画はこうでなくっちゃ!
高一のひかりちゃん、
小六のりなちゃんも、
笑ったり泣いたり
クラッカーを飛ばしたりして
本当に楽しそうでした。
誘ってよかった。
「みうらちゃん、また観たい!」
いいよいいよ。
DVD予約してあるからね。

・慾殺し怒り滅せの微言哉  野衾

悪い人と歩けば

 

・坂道を上り下りの月見かな

瞽女と書いて「ごぜ」
瞽は「めしい」
瞽女とは、
目の見えない女の旅芸人。
三味線を弾き弾き門付け芸を生業としていました。
写真家・橋本照嵩の写真集に傑作『瞽女』があります。
平成十七年に百五歳で亡くなった瞽女で、
小林ハルさんという人がいました。
生後三か月で失明し、
五歳から瞽女になるための訓練を受けたそうです。
生前に
テレビで紹介されたこともありましたから、
憶えておられる方もあるでしょう。
目の見えない女の旅芸人ですから、
苦労もあった、
というよりも、
苦労の連続ではなかったでしょうか。
目が見えませんから、
見知らぬ土地を一人で歩くわけにはいきません。
目が見える人の苦労もありますが、
目が見えない人の苦労は計り知れず。
小林さんは言ったそうです。
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」
百パーセントいい人もいなければ、
百パーセント悪い人もいない、
などと言ってしまっては、
糞も味噌もいっしょになってしまいます。
百パーセントは措いといて、
いい人、悪い人はやはりいます。
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」
この言葉も
覚えていていい言葉だと思います。

・秋刀魚食ひぽかんと我や此処に在り  野衾

眼が覚めたので

 

・透き通る完熟柿の甘さかな

ただいま二時を少し回ったところ。
これからそろそろ床につく人もいるでしょう。
さっき眼が覚め
トイレで用を足したら、
割と頭が冴えていたので、
そのまま一旦起きだしてはみたものの、
一旦の旦の字は、朝の意。
どこかの細胞が
まだ眠っているらしく、
ということは、
どこかの細胞だけが
サッと開いて急速に回転を始めたようで、
なんだかやっぱりどこか変。
我が身であって我が身にあらず。
ぼうっとしたまま
自動機械のごとくキーボードを叩いているが。
さて今日も来客の予定。
あったかなかったか。
あった、たしか。
コーヒーを淹れて、
それから奥邃(おうすい)は
「難録」
録するに困難な文字たち。
無我と謙の勉強に果ては無い。

・干し柿の餅のやうなる白さかな  野衾

黒にんにく

 

・秋澄むや静黙の中こゑのせり

先日、
神奈川近代文学館で泉鏡花展を観ての帰り、
元町の裏通りを歩いていたら、
岩手県のアンテナショップがあり、
おもしろそうなので入ってみました。
どこから見てもふつうのにんにくなのに、
黒にんにくと書いてあり、
以前食べて美味しかったので、
ひとパック購入。
が、
ぱくぱく食べるものでなし、
食卓に置いたまま
いつしか風景と化し、
あ、
黒にんにく。
忘れてた。
もう乾いちゃったかな。
と思いきや、
豈図らん
買ってからずいぶん経っているのに、
栗ならとっくに
石化していておかしくないのに、
さすがにんにく、黒にんにく。
とってもジューシー。
しかも美味しい。
なおかつ
次の日なんだか元気。
というわけで、
さらにネットで注文。
アンテナショップで買ったものは
茎付きでちょっと食べにくかったので、
一個一個ばらしてあるのにしてみました。

・光り受く開新俟ちて務むべし  野衾

毛布

 

・竜なれど馬曳く車竜曳けず

やっと秋らしくひんやりとしてきました。
ただいまの室温二十一度。
こうでなくっちゃ。
この日記を書き終え、
淹れたてのコーヒーを啜りながら
本を読んでいると、
いつしか、
ひんやりが骨の髄まで沁みてきて、
おお、さむさむ。
昨日初めて毛布を出しました。
毛布を腰に巻きつけ
椅子の上にでんと胡坐をかきます。
右手に字通、
左手に角川漢和中辞典。
これで万事OK!
眠くなったら朝風呂に浸かる。
ああ極楽極楽。
世の煩わしさをしばし忘れて、
と言いたいところですが、
それはどうやら叶いません。
さて、
新井奥邃著作集第七巻。
奥邃(おうすい)の人生は晩年を迎えます。

・朝寒や函を破りて辞書の在り  野衾

靴修理

 

・鰯雲除慾殺怒の光り有り

ちょっと大げさですが、
這い這いから立ち上がり、
二足歩行をするようになってから
いったい靴を何足履きつぶしてきたでしょう。
百足には満たないと思うのですが。
けっこうな数だと思います。
子どものころは、
破けたり
サイズが合わなくなると
新しいものを買ってもらえるので、
古くなったものはとっとと捨て、
それをとくになんとも思いませんでしたが、
大人になってからは
捨てるのがもったいなくなりました。
が、
やっぱり捨てていました。
靴を修理して履くという発想が
そもそもありませんでした。
革が柔らかくなり、
やっと足になじんできて、
いい感じになったなぁと思ったのも束の間、
ひょいと裏返すや
靴底が激しくダメージを受け、
いかにもダメだろうと観念し諦め、
ゴミとして捨てることに。
それが何をきっかけに、
いつからだったのか
定かに思い出せないのですけれど、
このごろは
気に入った靴は
修理をして履くようにしています。
それをしてくれる店の看板をときどき目にします。
きのうは二足、
土踏まずを除き、
ソールを全部
張り替えてもらってきました。
一足四千五百円。
二足で九千円。
二足とも気に入っている靴なので、
大満足。
これでまたしばらくもつはず。

・天高く無物の風の吹き抜けり  野衾

日用の糧

 

・慾去りてこころ楽しも秋の風

聖書「マタイによる福音書」六章には、
祈るときにはこう祈りなさいと
イエス・キリストが言った
いわゆる「主の祈り」についての記述があります。
そのなかに、
「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」
という文句があり、
初めて聖書を読んで以来今日まで、
日用の糧とは、
日々口にする食べ物、飲み物
のことだと思ってきました。
それはまちがってないでしょう。
食べずに飲まずに
生きていくことはできませんから。
でも
それだけではないようです。
朝、奥邃(おうすい)を読んでいると、
(朝でないと奥邃の文は分からない気がします)
身が引き締まり、
こころが洗われていくようで、
すっきりとし、
またふつふつと
元気がもどってき、
息が深くなる。
日用の糧。
口にするのは、
食べ物や飲み物だけでなく。
それをいただいて日を暮らす。
その意味で奥邃は
わたしにとって格別です。

・天高し淡きこころの有難し  野衾