朝の声

 

・初雪を告げて明るき父の声

だんだん朝が早くなり、
このごろは
三時に起きだすことも珍しくないのですが、
これぐらいの寒さなら、
きりりと寒くて気持ちいい
と
やせ我慢でなく言い切れます。
この日記を書き、
終えたら
サイフォンでコーヒーを淹れ、
コーヒーカップを
本棚下から三段目
向かって左端の隅に置き、
それから
腰に毛布を巻き
アームチェアにでんと胡坐をかいて本を読む。
五時。
空気の音まで聴こえてきそう。
六時。
不意にちょっと目を上げ。
家人そろそろ起きてくるかな。
七時。
トイレに用足しに。
戻ってふたたび腰に毛布を巻き
アームチェ…
「いってきまーす!」
タタタタタタタタ……
何年生でしょうか。
少年の姿を見たことがありません。
窓の外から声だけが聞こえ。
なんとも元気がいい。
「いってきまーす!」
を言ってから、
下り坂を必ず走って下りていく。
タタタタタタタタ……
路にリベットを打ち込むように。
タタタタタタタタ……
寸分の狂いもなし。
今日も一日が始まります。

・朝三時蓑虫のごと読書かな  野衾

そんなに読まなくても

 

・秋深し自家灸(やいと)の痛さかな

新井奥邃(あらい おうすい)を読んでいると、
聖書を読みなさいということが
ときどきでてきます。
聖書は、
聖霊のはたらきによって
書かれたものであるけれど、
書いたのは人間だから、
すべて正しいというわけにはいかない。
パウロが言ったから信じたのではない。
神の子、真人イエス・キリストが言ったから信じたのだと
奥邃は記しています。
迫力に圧倒されてしまいそうになります。
奥邃は、
日本に現れた預言者ではなかったでしょうか。
この世に生まれるとき、
わたしたちは、
何も知らない赤ん坊だったのに、
言葉をおぼえ
知識を増し、
人をだましたり
傷つけたりして、
いつしか驕り高ぶって、
あたかも自分が
大したものであるかのごとく錯覚し、
死ぬときは
きっと
何も知らない赤ん坊に戻って
死んでゆく。
生きているときも、
驕りを捨て慾を殺し
謙を学ぶ路に履み出さなければと、
奥邃を読むたび、
そんな気持ちにさせられます。
そうすると、
そんなに多くの本を
読まなくてもいいのでは、
という気持ちにもなってきます。
聖書は仕事師の手帳であるとも奥邃は言っています。

・灸据ゑて眠つた夜の夢哀し  野衾

一番!

 

・はらはらと越さず遅れず落葉かな

休日、
このごろよく行く
保土ヶ谷橋交差点川辺酒店に隣接する建物の二階、
「ヘアーサロン純」へ行ってきました。
そうですよ。
ヘアーサロンで坊主刈り。
はい。
外に掲げている看板には、
午前九時~
となっていますが、
八時半目指して向かったところ、
交差点の信号が青に変り、
小走りで横断歩道を駆け抜け、
階段を見上げたちょうどそのとき、
赤、白、青のサインポールがくるくると回りだしました。
よーし!
階段を上りきりドアを開ける。
だーれもいない。
でかい声で、
「おっはよーございまーす!」
「はーい」
と奥からご主人の声。
やったー! 一番!
八時半目指してきたのには、
理由がありました。
前回、
帰宅途中に寄ったときのことでした。
ソファに腰掛け順番待ちをしていたとき、
ドアが開き、
中年の男性が老人を伴い部屋へ半分ほど入りました。
老人は父者なのでしょう。
わたしの他にも客が数名待っていたので、
時間がかかると思ったのでしょう。
「明日、出直します」
ご主人、間髪入れずに、
「ごめんなさい。明日の朝いらっしゃいますか。
それなら八時半からでもいいですよ」
その言葉が
わたしの耳の奥深くに刻まれました。
だから八時半。
そんで
一番になったというわけです。

・侘しさや落ち葉の下の物語  野衾

修学旅行

 

・残務にて一人出社の眠さかな

近所のりなちゃんが
二泊三日の修学旅行に行ってきました。
目的地は日光。
幼稚園児のころから
りなちゃんを知っていますから、
月日の経つのは早いもの。
わたしが小学校の修学旅行に行ったのは、
今から四十数年前。
十和田湖への
たしか一泊二日の旅、
だったと思います。
ちょうどそのころ、
由紀さおりの
「夜明けのスキャット」が流行っていて、
子どもながら、
きれいな声の人だなと思ったことを覚えています。
♪るーるーるるるー、るーるーるるるー、
と思いきや
今度は、
♪らーらーらららー、らーらーらららー、
で
次に、
♪ぱーぱーぱーぱーぱぱぱ、
♪ぱーぱーぱーぱーぱぱぱ、
なんだか
とっても
時間稼ぎな歌だなとも思いました。
そして、
♪時計は止まるのよ、
でした。
しかし実際
時計は止まらず、
付加逆的に前へ前へとすすみ、
いま現在に至っています。
下の写真のお猿さんは、
りなちゃんからもらったうれしいおみやげ。
*
この欄に何度か書いたインド映画
『きっと、うまくいく』についての拙稿が
秋田魁新報に掲載されました。
コチラです。
DVD発売日が楽しみな今日このごろ。

・靴磨き床に胡坐の冬日かな  野衾

痛みを通して

 

・誕生月十一月の白さかな

大学一年生のとき、
英語購読をK先生から習いました。
小柄ではつらつとした、
胸の大きいカチューシャみたいな女性でした。
最初の授業か二度目の授業で、
日曜日に
自宅で聖書の読書会をしますから、
興味のある人はどうぞ、
という話がありました。
高校生のときに
ドストエフスキーを読んでハマり、
大学に入ったら
聖書を読もうと心に決め、
入学後すぐに聖書を買い求めましたので、
K先生宅での読書会に
喜び勇んで参加しました。
先生のご自宅は、
きれいで清潔でいい匂いに充ちていました。
参加者は十名ほど。
新約聖書の、
どこか忘れましたが、
先生が指定した箇所を読み、
感想を言い合いました。
わたしは、思うまま、
感じたままを正直に言いました。
疑問も含め正直に。
初回だったか、二度目だったか、
三度目だったか、
わたしの発言の後で、
K先生がたんたんと、
「あなたは、痛みを通して真理を分かっていく人なのでしょう」
と、おっしゃいました。
痛みを通して。
先生がどういうつもりで、
そうおっしゃったのかは判りません。
若かったわたしは、
痛みを通してしか分からないあなたに、
いま聖書を読んでも分からない、
そう言われた気がし、
ムッとしたことを覚えています。
以来、
K先生宅を訪れることはありませんでした。
曲解だったかもわかりません。
自分の半生を思い出すとき、
K先生がおっしゃった言葉の前で
沈黙するしかありません。
さらにこのごろは、
加齢のせいでますますあちこちが痛い。
五十肩、バネ指、腰痛、前立腺etc.
いたた、あいたた、あいたたた。
痛みを通して、
痛みを通して、
呪文のような日々がつづきます。

・父告げし秋田の予報雪だるま  野衾

読者

 

・ランドマーク十一月の高さかな

西暦二〇〇〇年の三月から
この日記をはじめましたので、
十四年目に入りました。
当初は
土日祭日も書いていましたが、
鎖骨骨折と
その後の体調不良をきっかけに、
いまは土日祭日休業。
この日記、
たま~に、
千人を超える方が見てくださり、
ふつうはだいたい五、六百人、
少ない日でも三百人の方が見てくださっています。
ありがたいことです。
十四年も続けていますから、
これまで
「読んでますよ」と
声をかけてくださった方のお顔を
五十人ほどはすぐに思い浮かべられます。
なので、
いつのころからか、
思い浮かんだお顔に対し、
きのうこんなことがありましたと、
こんなことがありまして、
こんなことを思いましたと
お話しするような体の文になっている気がします。
あるときはSさん、
あるときはMさん、
またあるときはNさん、
K先生を思い浮かべながら書いています。
それが楽しい。
なので、
ちょっと手紙に似ている気がします。
でも
それを初めて読んでくださる方、
こちらが存じ上げないながら
一度でなく読んでくださる方もいて、
そこがなんだか面白い。

・何するに今がいちばん十一月  野衾

つくった本を

 

・秋来ぬと風に声せり嬰児立つ

永島忠重(ながしま ただしげ)が書いた
『奥邃先生の面影と談話及遺訓』を読もうと思い、
ネットでいろいろあたってみましたが、
結局見つからず、
あきらめかけていたところ、
ふと思い立ち、
横浜市中央図書館に問い合わせたら、
ありました。
しかも元の本と復刻版の二種類。
読むのには、
元の本でも復刻版でも変りありませんが、
とりあえず元の本を請求したところ、
館外貸し出しは禁止とのこと。
一九三四年の発行ですから、
いたしかたありません。
復刻版のほうを借り出して読むことに。
本を手にし、
不思議な感慨が湧いてきました。
なぜならその本は、
かつてわたしがつくったものだったからです。
前の出版社で
『奥邃廣録』の復刻版を出したあと、
それが思いのほか好評で、
さらに
『奥邃先生資料集』を企画し出版した
六冊の本のなかの一冊が
『奥邃先生の面影と談話及遺訓』でした。
自分がつくった本を図書館から借り出して読む、
というのは、
古本屋に売ってしまった本を
またおカネを出して買うような、
そんな感じに似ているなと思いました。

・映画の日やんやのクラッカー弾け飛ぶ  野衾