習うより

 

・朝寒や旧きパソコンがなりけり

朝、コーヒーを淹れて飲むのが楽しみですが、
挽きたての豆の皮を飛ばすことにより
コーヒーの味がいっそう
引き立つことを知ってからというもの、
せっせせっせ、
挽いたばかりの豆に
ふっ、ふっと息を吹きかけては、
皮を飛ばすようにしています。
外はまだ薄暗く、
部屋から洩れる明かりをたよりに、
ベランダに出てひっそりやっていたのですが、
先週からとみに寒くなり、
厚着してまで外に出るのもいかがかと、
このごろは台所のシンクに向かい、
ふっ、ふっ、ふっ。
始めたころは、
コーヒーの
実まで勢いよく吹き飛ばし、
実も蓋も、
ではなく、
実も皮も
減量させてしまうことも間々ありましたが、
習うより慣れろ
の言葉どおり、
皮だけふっと飛ばすことを
ようやく覚えました。
息の強さと距離が大事。
大きい皮を飛ばすには
割と強めに、ふっ。
小さい細切れの皮を飛ばすには
近づいて
息を殺してやさしく、ふーー。
んー、職人技。
一人合点。
さあて、
今日も美味しいコーヒー飲んでがんばるぞ。

・ひと恋し怒りに火灯す得意技  野衾

死んでも勉強

 

・焼き利かせ干物置きたる夕餉かな

男なら溝の中でも前のめりで死ねと
幕末の志士が言ったか
言わなかったか。
小説のことは
ひとまず措いといて、
奥邃(おうすい)の文を読んでいると、
生きているときに勉強するのは
あたりまえ、
それだけだけでは足りず、
死んでも勉強はつづくのだ
という気になり、
それは諦めどころか、
大いなる希望でなければなりません。
死んでも勉強がつづく
ということは、
そこで終り
ではなく、
死んでも死なず、
霊体となり
永久にひたすら
真人を目指して勉強するということ。
奥邃を最後までお世話した
秋田出身の中村千代松さんが
死を目前にした床でも
奥邃の文を読んでいたのは、
そのことを思って
のことではなかったかと想像します。
*
写真は、スライスくん提供。

・手を繋ぎ疲と怒と来たる秋の暮れ  野衾

いのちの思想家

 

・奥邃や吾人の平生糠に釘

朝、
少しずつ新井奥邃著作集を読んでいますが、
難しい漢字や熟語がいっぱい出てきて
漢和辞典を手放せないわけですが、
めんどうくさいと
ちょっぴり思いながらも、
嶮しくもたのしい勉強です。
高校入学と同時に買った
角川漢和中辞典では間に合わず、
白川静の字通をもとめ、
五十肩を気にしつつ、
本棚から引っ張り出しては
あぐらの上に置き、
しょっちゅう開いています。
漢和辞典の二刀流。
奥邃の文を読んでいると、
ほかの多くの本が遊びの本として遠ざかる。
遊びが悪いわけでなく、
弱いわけでないけれど…。
なぜ本を読むのか。
なぜ勉強するのか。
有神無我を勉強するため
と奥邃は喝破します。
いくつかのキーワードがあるなかで、
「謙」はもっとも大事なものでしょう。
謙虚の謙、
へりくだり。
これがいちばん難しい。
慾を去り
怒りを除くことが
人間最大の問題であり、
有神無我による謙無くして
なんの益することがあるでしょう。
と
字が
からだの深くに飛び込んでくるようです。
学問でなく勉強。
一生勉強。
なんの?
謙の。
今年の新井奥邃先生記念会に
初めて参加された方が二人おられました。
奥邃と親交のあった中村千代松の
ひ孫さん、
原田嘉次郎の
お孫さん。
お二人としばし時間を共にし、
お二人の立ち居に接し、
謙の深さと大きさに慄きました。
奥邃の謙は
スローガンでなく
旗幟でなく、
生きてはたらくいのち
そのもの。
一生が勉強と思いました。

・微妙の戸一息開けて微妙なり  野衾

靴磨き

 

・我が顎に薄のごとき銀の鬚

雨の休日はよくあることですが、
一日家のなかで過ごしました。
コーヒーを淹れたり、
本を読んだり、
湯に浸かったり、
出てはまた本を読み、
昼寝したり、
目を覚ましてコーヒーを淹れたり。
ふと思いついて
靴磨きをはじめました。
新聞を取っていないので
下に敷くものがない。
んーと、んーと。
大き目の紙袋でいいか。
ティンバーランド74130と
先だって
一度目のソール交換をしたレッドウィング8166。
オイルは、
青山にあるヘルツの店でリュックを求めたときに
店の人に薦められるまま買った
ラナパーレザートリートメントを使用。
靴用のスポンジにオイルをつけ、
ゆっくりていねいに伸ばしていきます。
いい感じで光沢がでてきました。
歩けるうちに歩こう。
歩けなくなるときがきっと来る。
なんて。
いろんなことが頭をよぎります。
ぎっくり腰も治ったことだし。
五十肩は歩くのには差し支えない。
さて今度はどこを歩こう。

・冷え冷えと縦に斜めに秋の雨  野衾

小便小僧

 

・来て停まり来て停まりする枯葉かな

JR桜木町駅で下車し、
下りエスカレーターにて地上へ。
駅のトイレに向かいます。
急に寒くなったせいか、
このごろとみにトイレが近い。
男子トイレのマークを見、
右へ。
桜木町駅でトイレはそこしかなく、
通勤客でいつも混雑しています。
と、
五歳、
いや四歳ぐらいの少年が、
ズボンとパンツを
(今どきはズボンのことをパンツという
ことぐらいは知っています。
が、
「パンツとパンツ」では何のことやら分からないし、
「パンツとサルマタ」では
一方が平成、他方が江戸みたいで余計におかしい。
だから「ズボンとパンツ」)
膝の辺りまでもろに下げ、
チ●コ丸出しでうろうろしています。
便器が一台も空いていません。
想像するに、
少年、よっぽど我慢できなかったらしく、
勢いよくズボンとパンツを下ろしたのはいいが、
便器が空いてないでは
したくてもできない。
できないできないできないよー!
チ●コ丸出しのままうろうろうろうろ。
そうこうしているうちに、
大便のほうへ向かった友だちでしょうか、
もう一人の少年がやってきて、
チ●コ少年に、
「内田さんに少し遅くなるって言っといて」
内田さんて誰?
先生?
それともいっしょに来ている友だちの女の子?
はたまたいずれかの親?
親を「さん」付けでは呼ばないか?
そんなことはどうでもよく。
チ●コ少年、
友だちの言葉が耳に入ったか入らなかったか、
あるいは
もはや洩れそうで
それどころでなかったか、
ただチ●コ丸出しのままうろうろうろうろ。
友だち、
さらに大きな声で
「内田さんに少し遅くなるって言っといてえ!」
と繰り返し、
チ●コ少年の返事を待たずに、
大便コーナーへ戻っていった。
ようやく便器が空き、
チ●コ少年、
チ●コを両手でつまみ、
ちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ
虫が急ぐように便器へまっしぐら。
あわや! と思いきや、
なんとか間に合った!
よかったぁ!
全身弓なりにし、しゃーっと。
まさに、まさしく小便小僧。
ふ~。
間に合ってよかったね。

・無言にて、な、そうだよなの薄かな  野衾

ただなんとなく

 

・台風過ひとも葉つぱも捩じり巻き

わたしが持っている聖書は、
たしか大学に入った年に買ったもので、
ずいぶん長くつかってきました。
赤鉛筆で線を引いたり、
ブルーブラックの万年筆で線を引いたり、
一字を○で囲んだり、
聖句の横に鉛筆でちょこっと
コメントを付したり。
早朝に新井奥邃(あらい おうすい)の文を読んでいて、
腑に落ちたことがありました。
それは聖書の読み方。
聖書はいろんな読み方ができる本で、
物語として読む人もいれば、
学問の対象として読む人もいる。
信仰の拠り所として読む人もいれば、
ホテルで時間つぶしに読む人もいるかもしれない。
置いてありますから。
奥邃は、
聖書はこう読むのだと
何度かそのことに触れていて、
その箇所に今回付箋を貼りましたから、
たとえばこうだと、
ここに引用することも
できないわけではありません。
が、
なんとなくはばかられます。
勿体をつけているわけでなく、
なんとなく。
自分なりに分かったことで
それを大事にしようと思う気持ちも
ないこともないのですが、
ごく微妙な気がし、
ただなんとなくはばかられます。
文字を通して真実に触れる
ことの困難に慄えるばかりです。
*
写真は、ひかりちゃん提供。

・喧騒の街に静告ぐ台風過  野衾

アンコール上映決定!

 

・行き行きて石に風あり秋桜

先日、
若葉町にある映画館ジャック&ベティで
割と最近のチベットを取材し撮ったドキュメンタリー映画
『ケサル大王』を観てきました。
ケサル大王というのはチベットの伝説の王で、
その叙事詩の長さは
インドの「マハーバーラタ」の二倍。
ということは世界最長。
知らなかった。
長いもの好きのわたしとしては、
知らないでは済まされない。
中国政府と緊張がつづくなかで、
チベットの人びとがケサル大王に
どんな思いや願い、
祈りをこめているかを、
大谷寿一監督が観光ビザで潜入し
体当たりで撮ったどきどきものの映画でした。
悪路を車で移動しながらの撮影が多く、
映像を追いかけているうちに
めまいに襲われたのには困りましたが。
と、
それはそれとして、
驚いたのは、
あの『きっと、うまくいく』が
アンコールに応え
追加上映されることが正式決定されたのだとか。
十一月の三日四日の二日間だけですが、
これは絶対に外せません。
これまで四度観て四度泣きましたが、
五度目も泣くか。
泣かないか。
ああ楽しみ!
DVDは十二月三日発売予定で、
こちらもすでに予約注文してあります。
すっかりハマってしまいました。
*
写真は、スライスくん提供。

・葉を返す風に秋棲む箱根山  野衾