痛みを通して

 

・誕生月十一月の白さかな

大学一年生のとき、
英語購読をK先生から習いました。
小柄ではつらつとした、
胸の大きいカチューシャみたいな女性でした。
最初の授業か二度目の授業で、
日曜日に
自宅で聖書の読書会をしますから、
興味のある人はどうぞ、
という話がありました。
高校生のときに
ドストエフスキーを読んでハマり、
大学に入ったら
聖書を読もうと心に決め、
入学後すぐに聖書を買い求めましたので、
K先生宅での読書会に
喜び勇んで参加しました。
先生のご自宅は、
きれいで清潔でいい匂いに充ちていました。
参加者は十名ほど。
新約聖書の、
どこか忘れましたが、
先生が指定した箇所を読み、
感想を言い合いました。
わたしは、思うまま、
感じたままを正直に言いました。
疑問も含め正直に。
初回だったか、二度目だったか、
三度目だったか、
わたしの発言の後で、
K先生がたんたんと、
「あなたは、痛みを通して真理を分かっていく人なのでしょう」
と、おっしゃいました。
痛みを通して。
先生がどういうつもりで、
そうおっしゃったのかは判りません。
若かったわたしは、
痛みを通してしか分からないあなたに、
いま聖書を読んでも分からない、
そう言われた気がし、
ムッとしたことを覚えています。
以来、
K先生宅を訪れることはありませんでした。
曲解だったかもわかりません。
自分の半生を思い出すとき、
K先生がおっしゃった言葉の前で
沈黙するしかありません。
さらにこのごろは、
加齢のせいでますますあちこちが痛い。
五十肩、バネ指、腰痛、前立腺etc.
いたた、あいたた、あいたたた。
痛みを通して、
痛みを通して、
呪文のような日々がつづきます。

・父告げし秋田の予報雪だるま  野衾