美しい本

 

どのジャンルかにかかわらず、欧米の本を読むときに、
いつも念頭におくのは、
その本の著者なり作者なりが、『聖書』をどのように読み、
どんなふうに感じ、どう思い、どうみているか
ということです。
こんかい、
『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』
『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』
を読み、
ビルショフスキさんが書いた浩瀚なゲーテ伝と合わせることで、
ゲーテさんの聖書観が見えてきた気がします。

 

聖書は、それを理解すればするほどいよいよ美しくなる、
と私は確信している。
つまり、
われわれが一般的に解し、
特殊な場合にわれわれに当てはめる一語一語が、
ある状況にしたがい、
時と所の関係に応じて、一つの独自な、特殊な、
直接に個性的なつながりをもつに至ることを、洞察し直観すればするほど。
(ゲーテ[作]関泰佑[訳]
『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代(下)』
岩波文庫、1965年、p.275)

 

ここに記されていることは、ドイツのヘルンフート兄弟団が発行する
『DIE LOSUNGEN』の精神そのものであると思います。
『ヴィルヘルム・マイスター』には、
ヘルンフートも、
その設立者ツィンツェンドルフ伯の名も登場します。
『DIE LOSUNGEN』は1731年より
冊子のかたちで発行されていますから、
ゲーテさんが生まれる前。
ゲーテさん『DIE LOSUNGEN』を読んでいたかな?
そんなことを想像しながら、
けさも読みました。
日本語版は『日々の聖句』として1957年から出版されされています。

 

・ひと仕事終えて鍋焼きうどんかな  野衾

 

ゲーテさんとカントさん

 

ゲーテさんがカントさんの著作を読んでいたということは、
伝記やエッカーマンさんが書いた『ゲーテとの対話』
で知っていましたけど、
いま読んでいる『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』に出てくるとは、
思いませんでした。
下に引用する箇所など、
さすがに小説のながれと有機的につながっているとは、
ちょっといえないように感じますが、
ゲーテさんの性格、人物像を推し量るには、
おもしろいと思います。

 

カントは、理性の批判というものがあって、
人間が所有するこの最高の能力は、
自分みずからも監視する理由を持っているということを、
われわれに注意させた。
この声がどんなに大きな利益をわれわれにもたらしたかは、
めいめいが自分自身において吟味したことだろう。
しかし、
私はまさにこの意味で一つの課題を提出したいと思う。
およそ芸術が、
特にドイツのそれが、どうにかして再び立ち直り、
喜ばしい生の歩みで前進すべきであるならば、官能の批判が必要であると。
(ゲーテ[作]関泰佑[訳]
『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代(中)』
岩波文庫、1964年、p.233)

 

理性批判、でなく、官能批判、か。
ゲーテさんは1749年の生まれ。カントさんの生年は1724年。
カントさんのほうが先輩。

 

・鰯雲巨き天狗の扇模様  野衾

 

ゲーテさんとサヴァランさん

 

岩波文庫の『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』は上、中、下、
の三冊ですが、
中巻と下巻の終りに箴言集ともいうべき語群があります。
一行から数行の、
人生をおくるにあたってのみじかい教訓
が記されています。
箴言の「箴」は石針。
小説と一見関係なさそうですが、
訳者の関泰佑(せきたいすけ)さんにいわせると、
「本文と箴言集とが相照応して、相互の理解を深め助けあう点の多いこと
を見落してはならないだろう」
ということになる。
主人公のウィルヘルムが人生途上の遍歴をへて、
体験し、学んだことがことばになっている
と読めるものもたしかにあるけれど、
どうしてこういう教訓がでてくるのだろうと、
いぶかしく思うのも中にはある。
小説の主人公に仮託し、
作者であるゲーテさんが本人の人生で習得したことをことばにしている
んだろうな。
そう感じられるものも少なくない。
それはともかく。
中巻231頁にこんなことばがありました。

 

君が誰と交際しているかを私に言いたまえ。そうすれば私は、
君の人となりを君に言おう。
君が現在どういう事に従事しているかを知れば、
君が将来どういうものになるかが私にはわかる。

 

は~、そうですか。なるほど。
ん!? まてよ。
このことば、なんかどこかで読んだことあるぞ。
そうだ。
ブリア=サヴァランさんの『美味礼讃』。

 

君が何を食べているのかを私に言いたまえ。そうすれば私は、
君がどのような人であるかを、君に言おう。

 

ん~。似ている。
交際している友だちを食べ物に換えれば、同じような物言い。
ゲーテさんとサヴァランさんは同時代の人。
『遍歴時代』は1821年に初稿刊行。その後、全面的に改稿し1829年に出版。
『美味礼讃』は1825年出版。

 

・天高し見えぬ天狗の高笑ひ  野衾

 

時ぐすり時まなび

 

時薬と書いて「ときぐすり」。日日薬「ひにちぐすり」という言い方もある
ようです。
こころが傷つき悲しみにとらわれているとき、
どんなカプセル、粉薬より、
時の癒し効果によっていやされ、徐々に回復する、
そのための時ぐすり、
日日薬。
これまでのことをふりかえると、
たしかにそういうふうに言えるかな、
とも思います。
時、時間について考えると、過ぎる速さもそうですが、
感じ方が年々変ってき、
それに応じて味わいがふかくなるようです。
癒し効果の時薬、日日薬も味わいがあるけれど、
それになぞらえれば、
時学び、も、あるかな?
「学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや」
勉強したことを折々に復習し、くり返すことで理解が深まり、
身につき、体得されていく。
それは生きるうえでの大きなよろこび、
人生のよろこびではないか、
そう思います。
これ、時まなび。
さらに、時読書、というのもありそう。
大学生時代の恩師のことばが忘れられず、
ようやく『ヴィルヘルム・マイスター』を読んでいる
のとか。
ちなみに、下の写真はポプラではありません。
子どものころを思い出しての句です。

 

・蓑虫や明けゆく空のポプラから  野衾

 

ゲーテさんとペスタロッチさん

 

ゲーテさんの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』が終りましたので、
ひきつづき『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』を。
岩波文庫で、それぞれ三冊ずつ。
『修業時代』が「ヴィルヘルム・マイスター」なのに、
『遍歴時代』が「ウィルヘルム・マイステル」なのは、
訳者がちがうからでしょうか。
『修業時代』は山崎章甫(やまさきしょうほ)さん訳。
『遍歴時代』は関泰佑(せきたいすけ)さん訳。
おなじ岩波文庫でも、
山崎さん訳のものは『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』
となっています。
さて、
ハインリヒ・モルフさんの『ペスタロッチー傳』を読んだとき、
ゲーテさんの名前が幾度か登場し、
ゲーテさんがペスタロッチさんの教育と学校に、
ふかい関心を示していたことを知り、
へ~、そうなんだ、
と印象にのこりました。
その後、
清水書院から出ている『ペスタロッチ』(長尾十三二・福田弘[共著])
を読みましたら、
「ゲーテは、その作品『ウィルヘルム・マイスター』の中で、
スイスにおけるペスタロッチの、いわば同業者、
フィリップ=フォン=フェレンベルクの経営していたヴィルホーフ学園を、
理想の「教育郷」のモデルとして取り上げた。」(P.12)
と書かれてい、
またまた、へ~、そうなんだ。
と、脳裏に刻まれることになりました。
で、
関泰佑さん訳の岩波文庫『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』
を読むと、
第二巻の第一章は主人公ウィルヘルムと息子フェーリクスの父子が、
ペスタロッチさんの「教育州」を訪れたいわば見聞記、
ともいえる内容。
ちょうど、
若き日の大江健三郎さんが斎藤喜博校長の島小学校を訪れて書いた
ルポルタージュにも対比できるか、
と思いました。
詩人・作家の学校訪問の記は、
教育関係者とはちがう視点があるようで、
それだから、
よけいおもしろく感じます。

 

・庭先の老大木より蓑虫  野衾

 

ヘルンフート兄弟団

 

ふとした折に口にされた恩師のことばがきっかけとなり、
半世紀ちかいときを経て、ようやく読む機会を得ました。
『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』
がそれです。
この本の第六巻にあたる章は、
岩波文庫の山崎章甫さんの訳では「美わしき魂の告白」と題されています。
若く敬虔な孤児院の女性が美しい心をもちながら、
自身の信仰を育んでいく、いわば魂の遍歴を語る章で、
まえの章までのつながりがあるとはいうものの、
小説全体からすると、
やや唐突な印象をもちました。
かなりのページを費やしているのもその理由の一つ。
そこを読みながら、
おもわずアッと声が出た。アッ!
なぜなら、
ツィンツェンドルフ伯とヘルンフート兄弟団
(岩波文庫では「ヘルンフート同胞教会」「ヘルンフート派」
という名称で出てきます)
の名がたびたび登場するからです。
それでピン!と閃きました。ピン!
この「美わしき魂」の女性の、モデル、
とまではいえなくても、
かならずやゲーテさんの念頭にあったはずの女性
に思い至りました。
ゲーテさんは大学時代、病を得、一時帰郷しますが、
そのとき、
ズザンナ・カタリーナ・フォン・クレッテンベルクさんという女性と
知り合いになります。
そのことについて、
ビルショフスキさんが書いている箇所があります。

 

彼は「すべてのものが通過しなければならない大きな海峡」の前まで
二度も連れていかれたあと、
過去数年間なじんだ無味乾燥な合理主義と、
また、
それ以上に無神論者ふうの否定論とたもとを分ち、
神と世界のより肯定的な理解に傾いていった。
この変成の過程を支えたのが、
母の友人であり親戚でもあった繊細、敬虔な
ズザンナ・カタリーナ・フォン・クレッテンベルク嬢の影響だった。
このクレッテンベルクという人は、
世俗の子として
痛ましい経験や失望を少なからず味わった果てに、
ヘルンフート派の教えに魂の平安と明るさを見出していた。
彼女が一切のできごとを、
慢性的な病気をさえ自分に与えられたかりそめの地上的存在を構成する
不可避的な要素と見なし、
従容としてそれらに耐える姿を、
ゲーテは驚嘆の念をもって見た。
そのような気高い魂、
あるいは詩人の表現によれば、
身辺に天界の霊気が漂う美しい魂に近づきたいと思った。
そして
彼女に心のうちを打明け、
自分の不安やいらだち、あるいは探究、研究、瞑想、動揺
などを彼女に見せたことが、
ゲーテにいい結果をもたらした。
(アルベルト・ビルショフスキ[著]高橋義孝・佐藤正樹[訳]
『ゲーテ その生涯と作品』
岩波書店、1996年、p.106)

 

哲学者・教育者の森信三さんは、
「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、
一瞬遅すぎない時に」
と語りましたが、
人にかぎらず、どうやら本もそのようです。

 

・自失して眺めせし間に秋の風  野衾