仕事帰り、重い靴を履いて、七十数段ある階段を上りきると息があがる。
しばらく休み、見慣れた景色に目をやる。
一日一日と日が短くなり、六時前だというのに、
すっかり暗くなっている。
人通りはない。
煉瓦の上の藪が張りだし、正面の崖が大きくかぶさってくるようだ。
東の空に月が煌々と照っている。
月の方角へ道はゆっくり上りに向かう。
一歩、また一歩。
俳句が浮かびそうになり、歩を止めてみた。
冬の月、冬の月、冬の月、
唱えてみたが、中七、下五はいっこうに浮かんできそうにない。
正面の月を左手にやりながら歩を進めたとき、
右手の崖から何やらもの凄い勢いで駆け下りてくる。
瞬時に目の前の道を斜めに横切り、
東側のガードレールの下に潜り込むとき、一瞬立ち止まってこちらを見た
気がした。目の光に射竦められる。
すぐに体勢をもどし、月光を背に、崖を下りていく。
縞のある太い大きな尻尾が残像となって目に焼きつく。
野生が崖を下り何もいわずに去っていった。
わたしは無言のまま歩く。
靴が重い。
ゴミネットを過ぎれば道は鋭角に曲がる。
月はさらに上空へと。
冬の月、冬の月。
中七、下五は浮かばない。
・コーヒーを淹れてビル・エバンスと冬 野衾