ヘルンフート兄弟団

 

ふとした折に口にされた恩師のことばがきっかけとなり、
半世紀ちかいときを経て、ようやく読む機会を得ました。
『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』
がそれです。
この本の第六巻にあたる章は、
岩波文庫の山崎章甫さんの訳では「美わしき魂の告白」と題されています。
若く敬虔な孤児院の女性が美しい心をもちながら、
自身の信仰を育んでいく、いわば魂の遍歴を語る章で、
まえの章までのつながりがあるとはいうものの、
小説全体からすると、
やや唐突な印象をもちました。
かなりのページを費やしているのもその理由の一つ。
そこを読みながら、
おもわずアッと声が出た。アッ!
なぜなら、
ツィンツェンドルフ伯とヘルンフート兄弟団
(岩波文庫では「ヘルンフート同胞教会」「ヘルンフート派」
という名称で出てきます)
の名がたびたび登場するからです。
それでピン!と閃きました。ピン!
この「美わしき魂」の女性の、モデル、
とまではいえなくても、
かならずやゲーテさんの念頭にあったはずの女性
に思い至りました。
ゲーテさんは大学時代、病を得、一時帰郷しますが、
そのとき、
ズザンナ・カタリーナ・フォン・クレッテンベルクさんという女性と
知り合いになります。
そのことについて、
ビルショフスキさんが書いている箇所があります。

 

彼は「すべてのものが通過しなければならない大きな海峡」の前まで
二度も連れていかれたあと、
過去数年間なじんだ無味乾燥な合理主義と、
また、
それ以上に無神論者ふうの否定論とたもとを分ち、
神と世界のより肯定的な理解に傾いていった。
この変成の過程を支えたのが、
母の友人であり親戚でもあった繊細、敬虔な
ズザンナ・カタリーナ・フォン・クレッテンベルク嬢の影響だった。
このクレッテンベルクという人は、
世俗の子として
痛ましい経験や失望を少なからず味わった果てに、
ヘルンフート派の教えに魂の平安と明るさを見出していた。
彼女が一切のできごとを、
慢性的な病気をさえ自分に与えられたかりそめの地上的存在を構成する
不可避的な要素と見なし、
従容としてそれらに耐える姿を、
ゲーテは驚嘆の念をもって見た。
そのような気高い魂、
あるいは詩人の表現によれば、
身辺に天界の霊気が漂う美しい魂に近づきたいと思った。
そして
彼女に心のうちを打明け、
自分の不安やいらだち、あるいは探究、研究、瞑想、動揺
などを彼女に見せたことが、
ゲーテにいい結果をもたらした。
(アルベルト・ビルショフスキ[著]高橋義孝・佐藤正樹[訳]
『ゲーテ その生涯と作品』
岩波書店、1996年、p.106)

 

哲学者・教育者の森信三さんは、
「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、
一瞬遅すぎない時に」
と語りましたが、
人にかぎらず、どうやら本もそのようです。

 

・自失して眺めせし間に秋の風  野衾